炎の回廊 満州国演義IV




題名:炎の回廊 満州国演義 IV
作者:船戸与一
発行:新潮社 2008.06.20 初版
価格:\2,000




 満州国建国後、なお拡大し行く抗日運動。蒋介石を中心とする国民党、彼らに追われての敗走を長征と言い換え民衆の心を捉えてゆく天才・毛沢東指揮する中国共産党、彼らを背後からコントロールしようとするスターリンの赤化活動。入植した朝鮮農民らの非政治的抗日活動。ますます見えざる敵による包囲網に曝さた在満州の特務機関は、さらに過激で汚い策略を、秋枯れてゆく大地に展開する。寒風吹きすさぶ荒野で、敷島四兄弟の日々は、まだまだ国家的運命に翻弄され、風雪の中を転がってゆく。

 そうした過酷さを描く視点は、常に四人の兄弟の目線であり、生活の中からのものである。登場する無数の民族たち。殺傷される無数の人間たち。裏切りと策略の大地。すべてが生存競争の中にあると言って過言ではない時代である。

 もともとが南米を初めとした第三世界での侵略とゲリラ闘争とを主題に描いてきた船戸与一が、日本という国家が現在に至るまでに果たした鮮血の歴史に眼を瞑るわけがなかった。海外の火薬庫を眼にし、言霊のままに作品を量産してきたこの作家にとって、日本人としての自らの血を自らに問い詰める時期はいつか必ずくるものとわかっていた。

 その時期が来たのだ。それがこの「満州国演義」という名のサーガなのである。そして、その剣先は当然読者である我々にも向けられる。北海道人がアイヌ民族からの簒奪なき地平の上には生きなかったように、日本人全体が、飢えや貧困の解決を侵略という帝国主義によってしか欲さなくなった時代は、今も強靭な礫となって、国際世論や歴史の証言のかたちで我々の飢えに流星雨のように降り注ぐ。

 そんな時代、思想間闘争が勃発した。天皇というテーゼが、内乱を引き起こしかけた帝都の危機。二・二六事件である。本書の大団円を作るのが、この歴史のターニング・ポイント。

 二・二六事件と言えばいくつかの作品を通して、ぼくの中でぞわりとした感触を残してきた史実であった。必ずしも二・二六事件でなくとも、当時の青年兵士たちがどう考えどう行動したかの裏側に、天皇機関説という名の国家主義と個の天皇崇拝思想との世界観葛藤がどうにもならぬところまで追い込まれていた世相が、感じられたのだ。

三島由紀夫の『奔馬』は、輪廻転生を描いた連作長篇『豊饒の海』の第二巻に当たるが、主人公は純粋死を求めて財界の黒幕を断罪し自決するまでのストレートな行動小説である。後の三島の市谷での死を思えば、大変重要な作品であることは言わずと知れたところである。

 映画『動乱』は、高倉健が青年将校を、米倉斉加年が動きを探る憲兵を演じた。吉永小百合も見事なヒロインを演じ、全体的に、美しき悲劇を映画として語らず淡々と描いていった。散る美しさ、を重みのある俳優たちに演じさせたものである。

 時代の歯車が大きく動いた事件として最も長く重く描いた小説は、五味川純平『戦争と人間』である。二・二六の下りは執拗なまでに書き込まれている。本書、『炎の回廊』は、満州にいる人間たちを軸に描いているので、帝都での激震に関しては、彼らの情報という形でしか主に紹介されない。それでも、満州に届いてくる激震の波動は並々ならぬものがあり、巻中、幾重にも当時の満州人たちの思想を抉リ出すような記述が見られる。

 その分、特務機関員、論客らが酒を酌み交わし、日本帝国主義の行く末を慮り、自らの生き様に検証を加えるようなシーンが頻出する。いつにも増して、活劇以上に思想的断面での鍔迫り合いが多い分、ある意味難物ではある。最悪のポイントに向けて、日本、ドイツ、イタリアらが同時に動き出した。運命の巨大な歯車が軋む姿は、船戸の筆により、さらに掘削を深めて行くことだろう。

(2008/11/30)