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武士道セブンティーン


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題名:武士道セブンティーン
作者:誉田哲也
発行:文芸春秋 2008.07.10 初版
価格:\1,476



 『武士道シックスティーン』で再発見することになった著者の意外な才能が、またその続編となる本書で思い切り開花してしまった。

 この作家がなぜ女性主人公を描くのか、ぼくはよくわからない。女流作家は大抵の場合女性を主人公に小説を書き、男性作家はほとんどの場合、やはり男性主人公を軸に小説を書く。花村萬月は、『ゴッドブレイス物語』でいきなり女性主人公の一人称小説でデビューしたのだけれど、最近はやはり男小説が多い。

 女流作家も最近は男性を主人公にすることが多いけれど、やはり常にどこか限界を感じる。女は女を描いた方が、ぼくにはピンと来る気がする。作家の性別と読者の性別とのコンビネーションによって、少しずつフィット感というものは違ってしまうものなのかもしれない。

 桜庭一樹が少女を主人公にした小説は大好きだ。少し感受性の強い女の子がmixiなどに書いている日記なども割と好きだ。男の青春時代には決してあり得ない女の子ならではの心のストーリーが、ミステリアスで、思いのほか深い迷路のようで、そして豊かなように思える。

 その意味では男の作者が書いた少女小説を、男の読者が読んで、感動してしまう、っていう現象は一体何なのだろう、と思うと、なぜかとても恥ずかしくて人に言えない気がする。男の中には少女が住んでいるのだろうか、と考えたりするともっと気持ちの悪いことになるので、そうは考えまいと決断する。

 でもこの小説を読んでいると、少女の中には、男子学生よりずっと男らしい、一本筋の通ったような生き様というようなものが垣間見られてしまうので不思議なのだ。そう言えば桜庭一樹の小説によく出てくる、女の子なのに殺人者だったり、格闘家だったりする部分というものは、女の子らしいがゆえに、ある意味、一断面に関して言えば男よりもずっと男らしい。

 女らしさとか男らしさといった言葉ほど後天的で曖昧で社会的通年なものはないと思う。そんな言葉で人間の多くを切り分けてしまえる鈍感さのようなものは、ぼくはとても好きになれない。

 だからこそ、本書のようなものからジェンダーの違いがもたらす不思議な興味というものに惹かれるのだ。女の子なのに、男より逞しく闘うヒロインたち。そして戦い、勝つというだけではなく、武士道という心の居住まいみたいな部分にこそこだわる剣道部の少女たちは、世界の男女でも老若でも何でもいい、誰にでも共通する心の正しさみたいな清廉を感じさせてくれる。

 そうした純粋を求めて、社会の雑多なゴミ芥を掻き分け、進んでゆく彼女たちの決して平板ではない道のりが、こんな小説の形となって、ユーモラスで、こっけいで、痛快で、悩み多き、自分たちのある時期、あるいは今、に対して響いてくればいいと思う。

 誉田哲也という作家、ミステリもいいけれど、少女小説はもっといい。そういえばこの人の書く女性刑事小説も、すべて青春小説として読めるような気がする。こうしたデリケートな作家こそ、真の小説家なんだろうな、と素直に肯いてしまうぼくなのであった。

(2008/11/09)