黒の狩人





題名:黒の狩人 上/下
作者:大沢在昌
発行:幻冬舎 2008.09.25 初版
価格:各\1,700

 これを読み始めた日、北海道新聞を開くと、書評欄に関口苑生氏の絶賛レビューが掲載されていた。この人の書評はがちがちに堅い傾向があるのだが、「面白い」という言葉や「傑作」という言葉が、珍しく文章内でストレートに使われているのが印象的であった。

 ましてや『新宿鮫』シリーズにしても手放しで誉めてはいなかった印象のある批評家が。

 実はこれは感覚的に賛同できる。新宿鮫も最近のハードカバー版では、初期ノベルズ版当時の悪乗り感さえあったヒーロー小説の傾向がすっかり息を潜めており、大人小説としての味わいが増し、鮫島という刑事そのものも、まるで堅実な捜査小説であるマイクル・コナリー描くところのハリー・ボッシュのような大人の腕利き刑事となった印象が強くなっている。

 そしてぼくとしては最初から、鮫シリーズよりは、こちらの狩人シリーズ、あるいは佐久間公の正統派私立探偵シリーズの方が、評価が高い。佐久間公に比して、こちらのシリーズは、毎回ヒーローが入れ替わり、代わりに脇役として新宿署の佐江という不恰好で猪突猛進な刑事が固定したシリーズ・キャラクターとなっている。

 つまり単独ヒーローのシリーズというよりも、毎回、他の世界からやってきた違ったタイプの相棒と組んでゆくという複数主人公シリーズとでもいうような、少し趣向を変えた作りになっているのである。

 佐江という刑事が、自分を「カス札」だと表現するように、エリートでもなければ格好もよくない。まさに脇役といった印象でありながら、妙に魅力的であるのは、男としての年輪ゆえか、情けも脆さも切なさすらも兼ね備えているせいなのかもしれない。まさにミスター独身バツイチ中年男の枯れた生き様。仕事しかない、といった一件魅力のない存在であるはずだが、ことこれが重要国際犯罪に立ち向かうという凄みのある仕事であるだけに、われわれ平凡なサラリーマンにはない一種の灰汁のようなものが、独特のキャラクター造形を成し遂げているのである。

 考えてみれば自分は普通の人を知らない、と嘯く佐江がいる。彼の知り合いは、警察組織に属しているか、暴力団に属しているか、犯罪者か、不法就労外国人ばかりなのである。普通の人のいない世界に生きる。いわばゴミのような世界を漂流する存在であり、それ以外の世界を知らない。だからこそ平凡な家庭を営むことができずに、結婚に失敗した過去を持つ。孤独がとても浮き立つ存在であるが、彼の優しさは、ストーリーの中から否応なく立ち昇る。

 本書は、国際化した大都会を舞台にして、昔とはだいぶ質の変わった趣のある今日の闇を描き切る。そうした世界を漂流する佐江刑事の今回のみちづれは、正体不明の中国人通訳・毛、外務省の美人職員・野瀬由紀の二人である。

 中国人連続バラバラ殺人の裏側に潜む国際謀略を抉り出す実に錯綜したプロットである。被害者に刻まれた刺青の謎を追ううちに、個人の思惑、国と国との思惑が、熾烈な葛藤を繰り返し、事件はより複雑な切り口を見せてゆくという、面白さ抜群の小説である。

 情報を手にし、知識を手にすることで、がんじがらめになってゆく支配者のスタンスというものの危うさのようなものを闇社会の頂点付近に描きながら、質実剛健・不器用貧乏としかいいようのない現場の報われぬ人間たちを対比させ、人の貧富の差、価値観の差までをも激論させてゆくところに、小説の深みを持つ。

 複雑なプロットに導かれるジェットコースター小説であるからこそ、面白さだけにこだわるのではなく、そういった現代ではともすれば失われゆきそうになる人間的な懊悩を込めて、作者は大人の人間たちと、その弱さを、それ以上に優しさと絆とを描き出そうとしているように見える。

関口苑生氏に続いて、ぼくも声を挙げたい。

「傑作!」と。

(2008/11/03)
最終更新:2008年11月03日 22:42