メランコリー・ベイビー



題名:メランコリー・ベイビー
原題:Melancholy Baby (2004)
作者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:奥村章子
発行:ハヤカワミステリ文庫 2005.11.15 初版価格:\800

 シリーズ間のキャラクターを使い回しするサービスは、何も今に始まったことじゃないのだが、本書ではシリーズ・ヒロインのサニー・ランドルが、スーザン・シルヴァマンの精神療法を受けるようになる。いきなりの話だが、恋人のトミーが結婚するというのだ。

 いつも常にパーカーの作品で不思議に思うのは、男と女の関係である。デリケートなのか図太いのか、別れたりくっついたりを繰り返す。少なくとも、スペンサーもジェッシイ・ストーンも同じ展開を見せる。そういう意味では、サニー・ランドルは離婚し、そして結婚はしたくない、と非常に欲望に忠実な社会的エゴイストのように見える。ある意味では恋人のトミーが羨ましくもあるが、そのトミーは子供が欲しいので、別な女性と結婚するという。どちらかが好きかとサニーに聴かれ、サニーだと答えるトミーは、果たしていい加減な二股男なのか、それとも子供を作るためだけに一人の別の女性の人生を犠牲にするエゴイストなのか?

 ともかくサニーはトミーと別れ、孤独を嘆くためにセラピーを受ける。果たしてこんなことで誰も彼もがセラピーを受けるのかどうか、アメリカという国の実情は想像もつかないが、なんだか誰も彼もが精神的にひ弱で、エゴイストで、仕事にだけは一生懸命すべてを投入しているように見える。あるいは職業とライフスタイルこそすべて、というように見える。

 だから、日本人がパーカーの作品に接すると、近未来的な恋愛のモデルケースを、まるで実験台の上でも覗き込むかのように眺めている、といった感覚を得るのじゃなかろうか。その感覚自体が、パーカー作品の付加価値として人気を呼んでいるのではないだろうか。

 今らしくは聞こえるが、自分らの持ち合わせていない男女関係。生活リズム。価値観。すべてにおいて距離のあるこうした異国の人生こそが、活字でなくては共感できない何かであるのかもしれない。

 スーザンは、この小説の中では自分を全く語らない。スペンサーのシリーズを読んでいない人には、謎の美女くらいにしか映らないだろう。でもスペンサーを読んでいる人には、スーザンのいろいろなところがわかっている。シリーズを全部読むことで何となく100%楽しめるのがパーカー・ワールドだ。その良し悪しがどうであれ、彼の著作は、もはや単独作品としては生きてはいない。

(2005/12/25)