閉店時間




題名:閉店時間 ジャック・ケッチャム中篇集
原題:Closing Time and Other Stories (2001-2007)
作者:ジャック・ケッチャム Jack Ketchum
訳者:金子 浩
発行:扶桑社ミステリ 2008.07.30 初版
価格:\743


 ジャック・ケッチャムという作家に関する何の予備知識も無しに、いきなり読んでみた。書店の新刊文庫コーナーに平積みにされている本の中で、作家の名前、本のタイトル、そして洒落たカバーに、興味を惹く帯の売り文句、といった総合的な判断で、知らなかった作家を何となく手に取る。ぱらぱらと数ページを開いたり、訳者あとがきなどを、斜め読みでささっとチェックし、何となくよさそうだと思えば、ぼくはそうした本をある種の賭博師のような気持ちを胸に秘めて、颯爽とレジへ運ぶ。

 そんな本にはけっこうな確率で当たりが出ることが多い。先だって出くわした高城高全集なんて、本当の意味での当たりであり、後から、日本ハードボイルドの嚆矢だったなんて重要なことを知る羽目になる。しかも長らく絶版されていた作品群が日の目を見た瞬間でさえあった。

 このケッチャムという作家も、そういう意味ではカルト的人気を博しながら、なかなか傑作と称される作品が日の目を見ずにいたらしい。80年にデビューしながら、翻訳は最近になって、掘り起こされ、日本の書店に背表紙を並べるようになったそうである。

 中篇集というあたりから飛びついたのだが、一作一作が長篇小説のような密度で、削りに削られた圧縮小説という味わいの作家であるらしく、実際には中編とは言え、日本の並みの作家よりも随分とサービス精神に溢れた濃密な一冊となっている。日本オリジナルの中篇集なので、2001年から2007年の間の作品をあちこちから拾ってきた翻訳集というスタイルになっている。扶桑社の編集者が、そうしたのか、翻訳家がそうしたのかわからない。でも、入門篇というつもりで当たればちょうどいいのかもしれない。

 表題作は、割と上質で雰囲気のある、言わば、書店でのインスピレーションを裏切らない、装丁から類推されるような上質ミステリである。9.11後のニューヨーク、壊れた恋愛を抱きしめながら、街の片隅で生きるヒロインの生活を軸にしながら、一方で、バーの閉店時間ばかりを狙った武装強盗の頻出する様子を、運命的に描いてゆく。日常的なもののなかに、突如非日常的な暴力が進入する様子を、理不尽であろうがなんだろうが、クールにドライに、容赦なく描いてしまう。それが他の3作にも共通するケッチャム流であるようだ。

 『ヒッチハイク』は、映画『ヒッチャー』のリメイクをDVDで見た夜に、たまたま読んだのだが、こちらはロードムーヴィーの味わいというよりは、多くの個性的キャラクターの運命的出会いを楽しむべきだろう。何十年ぶりに会った同級生の女が次第に正体を現してゆくシーンや、難解な言葉を使う刑事などユーモラスなシーンが同居しながら、それでいて甘さを許さない厳しめな展開といった、奇妙なバランスが作品に漲る。

 正直、ここまでは良かったのだが、三つめの『雑草』は、狂ったレイプ殺人鬼の日々を淡々と描いてゆくキラーものであり、その荒涼とした精神風景に気分が悪くなる。なぜ、このような鬼畜小説を翻訳したのだろう。その前に、ケッチャムはなぜこんな作品を書かねば鳴らなかったのだろう。掬い亡き物語の示唆する方向がまるでないような作品である。ぼくには、この小説のレゾン・デートルが全然、わからない。

 ラストは『川を渡って』というウエスタンなのだが、『雑草』のイメージが強烈過ぎ、本作に出てくる川向こうの狂った王国は、『地獄の黙示録』の世界のようでもあり、神話的なイメージのよいでもある。滅ぼさるべきソドムでありゴモラである。何と言っても正義漢の主人公たちが、いたぶられた乙女たちを救出する話なので、ウエスタンであるし、痛快なはずなのだが、そう容易には終らせてくれない作者の残酷さが、最後までつきまとう。

 全体に鬼畜の業が多すぎる印象がある。そういう作品ばかり集めてしまったのか、ケッチャムがそういう作家であるのかは、わからない。でも表題作『閉店時間』はコーマック・マッカーシーのような質の良さを有している。このレベルの作品だけ厳選して読めるのであれば、本書後半に感じた胸が悪くなるような不快ばかりを感じずに済むと思うのだが。正直言って、しばしこの作家の本を敬遠したくなる気分である。

(2008/10/26)
最終更新:2008年10月27日 00:26