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鎮魂歌は歌わない




題名:鎮魂歌は歌わない
原題:Wiley's Lament (2003)
作者:ロノ・ウェイウェイオール Lono Waiwaiole
訳者:高橋恭美子
発行:文春文庫 2008.7.10 初版
価格:\743


 人の最大限の悲しみは、愛する者を失うことだろう。心が引き裂かれ、この世の地獄を生きながら味わうことでもある。家族を失ったことのある人ならばその痛みの激しさを知っているに違いない。

 愛する者を失う時、人は、その理不尽な事実をしばらくは信じることができないに違いない。とりわけ自分の子供が自分より先に死んだ場合に、その悲痛はさらに強烈であるはずだ。息子を失って号泣する父の姿をぼくは見た。兄弟が不意の自己で死んだ時だった。あんな姿は生涯忘れることなんてできやしない。父が死んだ今になっても。

 そうした悲痛の思いをわずか数行で書いてのけ、本書の主人公は、娘を殺った奴らを狩り出しにかかる。出来損ないの敗残者であり、娘にも愛想をつかされた世捨て人のような駄目親父が、娘の死を契機に、唐突に行動の人として戦いの地獄に身を投じる。

 一方に、生まれながらの殺人者がいる。彼は証人保護プログラムのようなものに守られているらしい。刑事たちに身を守られながら、一方で好きな殺人を犯して悦に入っているらしい。刑事たちは、より大きな犯罪摘発のために、彼のような狂人の微々たる犯罪は今のところなかったことにしなきゃならないらしい。

 本書のストーリーはストレートな復讐譚であり、獲物を借り出し、ついにはしとめるに至るまでの旅程の記録といった趣である。被害者や被害者たちの身内、同僚、ルームメイトといった女性たちが、いずれも主人公の駄目親父よりもずっと気丈夫であり、自立している。女性らの逞しさは、母の持つ強靭さであり、まっとうな生のために理不尽に対し怒ることでもある。男どもは手出しできぬ領域をここに感じ取るしかない。これぞハードボイルドの正当なる世界構築の礎。

 本書巻末、編集者がひとしきりハードボイルド論を戦わしているのだが、本書の特徴として伝えようとしているのが、社会対個の対立構造である。本書では殺人鬼が、国というより大きな社会の言う善に守られ、個を犠牲とする悪を犯す。犠牲となった個の復讐に立ち上がるのが主人公である敗残の父である。社会のひずみを描く正当なる死闘の小説であり、理不尽なものに取り巻かれた社会の皮相を糾弾する主人公らの疾走である。

 たかがB級バイオレンスな小説であるかもしれない。だが、ここまで徹底してシンプルかつストレートな復讐劇というのは、あるようでいて、実はそう多くはない。すべてのカタルシスを求める日常生活者諸君に勧めたい、けれんなき直球小説である。

(2008/10/05)