ブラックペアン1988





題名:ブラックペアン1988
作者:海堂 尊
発行:講談社 2007.09.20 初版
価格:\1,600



 『チーム・バチスタの栄光』は犯人探しのミステリであったけれど、海堂尊という作家に関して言えば、必ずしもミステリ作家とは言い切れないだろう。著書においても数々の医学エッセイ、評論などを書いている通り(ちなみに現時点でぼくは小説外すべて未読)、本質的に文章書きであるだろう。もちろん大学医学部付属病院という、ある意味けったいとしか呼びようのない怪物(モンスター)に対し、そこに所属する現役の医師として、一家言どころか、日常的に考えるところの多い作家であるのだろう。

 そうした数々の思いを、表現能力という才能に載せ、ときには小説という形で、ときには、新書を初めとしたノンフィクションの形で、彼は世界に対し情報と考察を発信し、さまざまな理解を求めているのだろう。

 その意味で、本書はある表現手法の成果であると言えると思う。1988年。今とはだいぶ状況の違う地方大学の医学部付属病院において、外科や手術場を中心とした課題や確執を描こうとしたところに、現代の医療状況を舞台にしたシリーズ作品とは少し違うテンポ、リズムを与えた変奏曲として奏でたのが本書なのであろう。

 もちろん舞台は20年前とは言え、東城大医学部であり、そこには20年前の高階教授、佐伯教授、藤原看護師がいるばかりか、研修学生として田口、速見、島津なども顔を出す。もちろん花房、横田など婦長らの若かりし姿も。すべてが現代のキャラを予見した形で、既に個性を現しているが、いずれも読者サービスとして描かれたものであるように思う。

 それ以上に、本書では、外科領域における現代にもつながる問題を、けっこうストレート、真摯に捉えているところが目につくのである。どちらかと言えばエンターテインメント性の強い作風である作家でありながら、本書では、現代日本医学の抱える問題の核心を突いてくるあたり、通常の娯楽小説の域を出て作者なりに冒険をしているような気がしてならないのである。

 医学教育のあり方の問題をここまで突いた作品は、ぼくはあまり知らない。医学に携わるスタッフが権威や職業としての利己を選ぶのか、あくまで個別の患者の生との戦いへ協調としての利他主義を選ぶのか、個人の人生、医師としての未来などを考えると、そうそうほしいままにならない若手医師たちの葛藤を痛切に感じてしまう。そうした岐路について、これほど厳しく描く小説はあまりないだろうと思える一方、たかが専門的な医学を専攻した職業であり、まだまだ生ぬるいと感じられる部分もないわけではない。

 ぼくは実際、医療現場に出入りする立場の民間の業者として20年を送った人間である。だから、手術現場への生々しい手洗いシーンや、不織布の手術着、麻酔の手順、ドレーピングの手順についてなど、医師以上に良く知っているところもある。その意味では、この時代、東城大はよくやっている方で、都心の一流大学病院といえども、ここまで現代化されていないところもままあったことなど、今でも記憶に新しい。

 当時の医学事情や、製薬メーカーがまだMRという資格ではなく、接待というところに営業の価値づけをしていた前時代的風潮もわかる。そうした生々しい医療の現場をよくぞ、ここまで描いたものだ、とある意味感心しながら本書のページを繰るとともに、その専門性だけで勝負するには小説という世界はちと辛いのではないだろうかとの疑念をすら感じていた。

 ぼくはこうした小説を楽しめるけれど、この小説は例えばミステリではなく、純然たる普通娯楽小説である。ジャンルなどに意味は見出さないけれど、海堂尊という作家のとらえどころのなさに逡巡している読者にとっては、少しばかり惑いの作品となってしまったかもしれない。ちなみに、ぼくは海堂尊小説ということで分類しているためか、本書は外伝的面白さを感じつつ、イージー・リーディング小説としての醍醐味は印象的であった。

 他の多くのキャラクターとともに本書の陰の主役である渡海医師の造形については、おそらく一生忘れないかもしれない。願わくは、本書の語り手のような新米医師すべてがそうした個性を持ってもらえることを医学界にも求めつつ。

(2008/09/28)
最終更新:2008年09月28日 23:14