赤朽葉家の伝説





題名:赤朽葉家の伝説
作者:桜庭一樹
発行:東京創元社 2006.12.28 初版
価格:\1,700



 現代を語ろうとする時に、その方法はいく通りだって考えられると思うが、おそらく桜庭一樹のこの小説のような方法というのは、誰も考えつくことはないだろう。

 桜庭一樹という作家の小説作法を考える時、彼女の閉塞的少女時代の内面志向に基づいた世界構築、ということを前提にしないと何も始まらないのではないかと思われる。それほどに精神世界の内部が豊かに過ぎ、それゆえに独特の世界観を豊饒なまでに構築してしまえる。それが桜庭小説の最も研ぎ澄まされた特徴であるように思う。

 世界構築として、本書で行われるのは、中国地方の地方都市に息づく製鉄会社の昭和である。それは日本や世界の歴史の影響を大きい意味では受けながらも、社会史というよりは、より深い意味での分明史と言った方が真相に近いような歴史に彩られた、より魂の核心部に波動をもたらすような時間の触感ですらある。

 本書を読み進むと、なにゆえにこの作品が『このミス2008』で第二位に輝いたのだろうか、というところに疑問を感じる。まずはどこがミステリーなのだという問題である。『ベスト・アメリカン・ミステリ』の編者であるオットー・ペンズラーはミステリを広義に解釈する人であるが(「犯罪または犯罪の予兆が、テーマまたはプロットに欠かせないあらゆるフィクション、と定義する」)、なかなか本書の題材は犯罪というところに接触しそうでしていないような気がする。

 もちろん、桜庭一樹ならではの少女的暴力性、力への憧憬、あるいは残酷趣味(鉄道自殺でばらばらになった友の兄の遺体をバケツに拾い集めるシーンなど)は健在であり、喧嘩上等、といった少女の世代を描く強さへの頂上志向といった他の少女格闘技小説(例『赤×ピンク』)などに通ずる部分は、しっかりとこの作品にも埋め込まれている。

 女三代をおよそ100ページずつ描いた三部作作品でありながら、地方都市に経済面でも文化の面でもしっかりと影響を与えてきた赤朽葉家と、その女系一族による、女たちのそれぞれの、あまりにも個性的な人生を通して、昭和と平成に至る日本の屈曲を描いた独自な思想史でもあり、それ以上に庶民史であり、それぞれの時代の青春史である。

 ロングスカートでレディースを率いた世代が丙午(ひのえうま)の世代であり、彼女らが即、そのままお立ち台で踊る世代であったという下りは、日本の女性史を語る新しい切り口ではないだろうか、と素直に感心してしまったのだが、そうした妖しさこそが、桜庭小説の伝奇的側面であり、物語としての説得力でもあると思う。

 桜庭一樹は小説を通して自分の世代を語る作家であるような気がしているが、彼女の世代のみならず、彼女のおばあちゃんの世代、その後の後輩たちの世代、など、それぞれの抱えた時代の懊悩や理不尽を抱え込まされる、女たちの現代史、といったところにまで、すんでのところで到達してしまっているのが、本書ではなかろうか。

 そういう意味では、鬼才・桜庭の、これはある意味天才が成しえた業と言えないこともない凄玉小説であるのかもしれない。

(2008/09/28)
最終更新:2008年09月28日 23:13