運命の日





題名:運命の日 上/下
原題:The Given Day (2008)
作者:デニス・ルヘイン Dennis Lehane
訳者:加賀山卓朗
発行:早川書房 2008.08.25 初版
価格:各\1,800

 これまでのどのルヘイン作品とも異なるのは間違いない。そして随所で行われる年度ベスト・チョイス作品リストに名を連ねるであろうことも間違いない。ルヘインの五年ぶりの長編作品は、長い時間を投入しただけあって、大変な力作であり大作として、そしてその物語性の深さ、取り上げられた題材の意外さという面において、あまりに衝撃的であり過ぎる。

 第一次大戦末期のアメリカ、1919年に巻き起こったボストン市警のストライキとそれに触発された暴動が、この小説の材料である。時は、ロシア共産革命(1917年)に遅れること二年、そして禁酒法成立の一年前、という実に不安定で暴力的な時代である。ボルシェビキの細胞はアメリカ各都市にも入ってきており、人種差別や共産主義に対し憎悪を持った官僚や警察官も少なくなかった。

 そんな時代、小説は二人の男を中心に物語を進めてゆく。一人は、警察家族の中で自立心が高く常に自分基準の正義によるニュートラルな気持ちを持つがゆえに、家族でも職場でも浮いてしまうが、強い信念の持ち主であるダニー。もう一人は、弱い心ゆえに平和な日常から追われる存在となったが、次第に自分に目覚めてゆく黒人青年ルーサー。

 彼らの育つ環境、時代、社会背景を基盤に、何よりも肌触りのように感じられる人種差別意識のリアルさ、そして暴力に満ち満ちた空気、緊迫感、そうしたものが作品中に張り詰めており、葛藤という葛藤、対立という対立を詰め込んで、競り合いや駆け引きの多い闘いのドラマになっている。

 それでありながら、愛する人とのコミュニケーションがうまく行かず、自分の夢や人生に対する不確かさゆえに、幸福をなかなか掴み取るところに到達できないでいる二十代の青年たちの青春の苦悩がある。愛や家族や平和といったものに至ることがいかに難しいことであるのか、それもわが街が、テロルと陰謀とで燃え盛るこの時代に。

 ヤンキーズ入りする前のベーブ・ルースの彷徨う姿が、物語のプロローグやエピローグで使われているが、時代の匂いをページから立ち昇らせるかのようなルヘインならではの書きっぷりを感じさせる。

 ルヘインの作品では、表現能力の類い稀なる才が随所に見られる。独特な会話体による人々の葛藤、テンポのいい時間進行、血の匂いが漂ってくるほどの暴力表現、そして何よりも感情表現の豊かさだ。あまりに純粋な愛情ゆえに心が傷むシーンでは、ダニーやルーサーとともに、読者の心までもが泣き叫びそうになる感情移入の文学なのである。

 またあまりに多くの人間が出てくるのだが、それら一人一人のどの個性を取っても、生々しいほどに存在感がはっきりしており、キャラクターリストをいちいち確認せずともぐいぐい読んでゆける個々の切り分け方は、あまりに見事である。

 久しく見られなかったアメリカの恥部、暗黒面に触れた点では、エルロイ以来の危険な小説であるかもしれない。

 サム・ライミ監督によって映画化が決定しているという。これほどの大掛かりな暴動シーン、どう描いてみせるのか。もともと映像表現なみに表現力の多彩に満ちた作家ルヘインだからこそ、映画化の難しさが思いやられてならないが。

(2008/09/23)
最終更新:2008年09月23日 23:44