誘拐児





題名:誘拐児
作者:翔田 寛
発行:講談社 2008.08.06 初版
価格:\1,600



 今年の乱歩翔受賞二作のうち一作は本書である。

 戦後に起こった誘拐事件、帰らなかった誘拐児。それから15年経った現在、新たな殺人事件が、時効迫る誘拐の真相に関係する、という戦後東京を舞台にした、実に斬新なプロットである。幼少の頃、吉展ちゃん誘拐殺人事件というのが世間を賑わしており、これが1963年、ぼくは小学校に上がったばかりだったが、あの時代のあの匂いといったものを強烈に覚えている。母が涙声で、残忍な事件をぼくに伝えたのだ。

 翔田寛は新人作家ではなく、既にデビューしている。作品リストだけ見るとちょっと毛色の変わった題材が多いのかもしれない。本書では巻頭の挨拶で、作者自身が出張の車内などで夢中になって乱歩小作品を読んでいたこと、だから自分の本もそういった出張族に読んで愉しんで欲しい、というようなことを書いている。

 日曜日に自宅で読んだのだが、巻置くあたわずの面白さであった。これなら長い車中の時間を忘れてしまうことだろうと思う。

 戦後闇市で起こった誘拐犯逮捕未遂、その捜査に携わった刑事たちの思いを、15年後の捜査陣が引き継ぐきっかけになったものは、平凡な独身女性がある夜の路上で、残忍な手口で殺害された事件であった。彼女は何を知り、誰に命を狙われたのか?

 一方で、母の死に際に、自分の出生の秘密をほのめかされた二十歳の青年は、母の隠していた過去を探ろうと奔走する。恋人の看護婦は横浜の病院勤務だが、その病院で運命の出会いが待ち受ける。

 二つの、別々と思われるストーリーが進み、どちらのプロットも謎を解明すべく歩き回る者たちによって展開される。多くの戦後の人間像が浮かび上がると同時に、かつての闇市での包囲網をかいくぐった時効間近の誘拐犯罪との関連性が浮かび上がる。

 既に作家デビューしているだけあって、筆力には安定感があり、実に巧みなストーリーテリングぶりを発揮している。人間たちの動きそのものがドラマであり、戦後すぐから始まって、本書の現在形も昭和36年というたまらなくレトロな時代に綴られる。

 まるで松本清張のような味わいを今、この現代に読めるというだけでも、一読の価値あり。おそらく、年末のベスト・ミステリ・リストの目玉になってゆくだけの作品であろう。

 戦後の苦しみの上に、それから遠い平成の今が立っているのだ、ということを改めて思い出させてくれるとともに、人間の営為は時代が変わろうとも、いささかも進歩がなく愚かであり、一方で無償の愛というものも永遠に変わりようがない、そんな裏と表とをひらひらと返してみせた、実に質の高い作品である。

(2008/09/07)
最終更新:2008年09月08日 00:24