神の獲物




題名:神の獲物
原題:Trophy Hunt (2004)
作者:C・J・ボックス C.J.Box
訳者:野口百合子
発行:講談社文庫 2008.03.14 初版
価格:\819


 ワイオミングの高地を舞台にした猟区管理官ジョー・ピケットのシリーズ最新訳である。都会派ハードボイルの多いアメリカ小説の中で、ひときわ異彩を放ちながら、しかも人気シリーズとして定着していること自体が、ひとつのエポックである。ハードボイルドの系譜を砂漠ではなく、山林に持ち込み、なお作品として評価されていること自体が、ある種の意味のある文芸史の流れと言えよう。

 作者の経歴が既に異色である。もちろんワイオミング州に生まれ育つ。牧場労働者、測量技師、フィッシング・ガイド、ミニコミ誌編集者、といった、ド田舎に生きるために選びようのない職業を転々とし、ようやく水を得た魚のように泳ぎ出したのが、この土地を活用したカントリー・ハードボイルドの新しいウェイヴであったわけだ。

 前二作ですっかりぼくの中で固まってしまったこの作者への高い評価を基準にすれば、第三作は、突拍子もなく素晴らしい作品ではないと思う。なぜなら、題材が、モンタナで実際に起こった集団家畜変死事件であったりすること、そこに群がるUFO説、超常現象説などの、カントリーには相応しくない都会的なソフトの流入は、現実さながらに本書のプロットにも大きく取り入れられているからだ。

 ネイチャー志向の、本シリーズはできることなら、そういった文明の匂いから遠く隔たって孤高であって欲しいものだが、前作と言い、本シリーズは、静かに生きる田舎に対して、流入する都会文化、国家施策などが悪徳として描かれているので、致し方ない部分がある。本作でも、急に土地に押し寄せたのは、天然ガスの掘削業者たちであり、鉱夫たちである。

 俄か開発景気の中で頻発する謎の集団家畜死。やがて、沸き起こるのが、切り裂き魔による異常でむごたらしい殺人事件である。ジョー・ピケットは、保安官でも警察官でもなく、取り締まることができるのは密猟のみ。今回は、野獣であるムースの惨たらしい死骸を発見した頃から、連続殺人事件の捜査チームに加わる。もちろん歓迎されず、権限をほとんど与えられず、しかし、事件の舞台に関しては最も理解のある立場で。

 無骨で、不器用で、特殊な能力をいささかも持たない、地味きわまる主人公である。敢えて言えば、彼には美しい妻と、可憐な二人の娘たちがいて、一家は貧しい収入の中でささやかな山中のロッジ暮らしを余儀なくされている、というあたりが、地味ではあるが本シリーズの最大の特徴だろう。

 ホームドラマを基調とした山に生きる家族の生活、これがストーリーの中で活き活きと輝き、子供たちの表情の豊かさやその個性が、作品を際立たせる。人間的な精神の豊かさが物質的な貧しさを凌駕するこのバランスこそが、都会の小説に比してとても有利な部分なのかもしれない。ディック・フランシスのようだと、例えられるのもこうした揺るぎなき安定性の部分ではないだろうか。

 ちなみに本書では、こんな夫婦の会話シーンがある(415頁)。シリーズの個性を現わすのに最適なシーンと確信し、ここに引用する


「自分が君のようにタフだったらと思うよ」
メアリー・ベスはふたたび微笑して、彼の頬をつついた。「あなたはタフよりずっといいのよ、ジョー。あなたは善良だわ。わたしは善を応援しつづける」


 男はタフでなくてはいけない、そんなフィリップ・マーロウの名言が、形無しである。

(2008/08/17)