ザ・ロード





題名:ザ・ロード
原題:The Road (2005)
作者:コーマック・マッカーシー Cormac McCarthy
訳者:黒原敏行
発行:早川書房 2008.06.25 初版
価格:\1,800


  この作家の本は『血と暴力の国』しか読んでいないので、本書が二冊目である。前作もロード・ノヴェルであったが、本書はまさにタイトルの通りのロード・ノヴェル。それも究極のロード・ノヴェルである。しかし巻末の訳者解説により、この作家はすべての小説がロード・ノヴェルなのであることがわかる。

 こちとら70年代アメリカン・ニュー・シネマの世代である。ということは、ロード・ムーヴィーの世代ということでもあるのだ。だから、今でもロード・ノヴェルには魅せられる。例を挙げれば『イージー・ライダー』『バニシング・ポイント』『スケア・クロー』等々。

ロード・ムーヴィーの原点は、間違いなくウエスタンである。フロンティア・スピリットの横溢する未開の荒野を、文明人であったはずのアングロサクソン民族が、焚火・野営・銃器などというアウトドア、つまり人類の原点回帰に戻るドラマが、いわゆるウエスタン、西部劇であったのだ。『明日に向って撃て』『ワイルドバンチ』『ロング・ライダーズ』等々。

 その意味でロード・ムーヴィー、ロード・ノヴェルはアメリカそのものであった。国際的なロード・ムーヴィーという意味では『地獄の黙示録』ですらアジアを舞台にしたそれであったのだ。

 しかし本書は、そうした観念を撃破するくらいに衝撃的である。第一パラグラフで、読者は世界の選択を迫られると思う。世界設定は、何と、滅びゆく地球ではないか。地上にある家という家は焼けつくされ、動物も植物も滅び去り、空から太陽は消え、大地は寒さに覆われ、雪が降り続く世界。

 そんな世界をあてどなく南へ、と向う父と子のロード・ノヴェルなのである。これ以上ハードな設定はないだろうと思われるほどの極限状況。他者は基本的に存在しない。あるのは屍ばかりで、たまに出くわす生者たちは、生存のために殺人者となり、人肉食いとなっている。

 そんな極北の世界(でありながら、何年か前までは確実に平和であったアメリカを思わせる世界)を、旅する父親は、かつての時代の想い出を抱きしめるが、炎が地球を焼き尽くした後に生まれた息子はこの世界しか知らない。

 それでも息子は父親に言う。「ぼくたちは殺さないよね」「食べないよね」「ねえ、あの人を助けようよ」「食べ物を分けてあげようよ」

 ああ、この会話だけで泣けてしまう。人間の善なるものは神が搬んでくるものではなく、人間のどこかにもともと備わっていたものなのだ、と発見したのはトルストイ『戦争と平和』のある登場人物であった。『クロイツェル・ソナタ』『光あるうち光の中を歩め』でもトルストイは、神ではなく人間自身の中に抱えている何ものかを執拗に追跡したものである。

 父は子に言う。お前は火を運ぶ者だ、と。人類の滅亡に際して、火を搬ぶということの意味が小説では、何を表しているのだろうか。プロメテウスが太陽(ゼウス)から盗んできた火なのであろうか。プロメテウスはその後永遠に天を支えよ、罰を与えられたのではなかったか。そうして天を持ち上げるプロメテウスの絵を、五味川純平の『戦争と人間』のなかで、軍閥である伍代家の三男は見つめつつ、育ってゆき、満州侵略への不条理を抱え込みつつ命を燃えさせてゆくのだった。

 滅び去った世界のイメージを、何で感じてきたかというと、ぼくの場合は圧倒的に映画『渚にて』である。角川映画の『復活の日』は観ていないが、『マッドマックスⅡ』なども滅び去ったその後であり、大友克洋のコミック『アキラ』も同設定である。しかしそれらのどれとも異なるのが本書のエンド・オブ・ザ・ワールドのイメージであろう。

 近未来小説というのが苦手なぼくであっても、この作家の文章力、プラス、訳出力に感じ入った。唯一無の作品の持つ燃焼力(無論、火の!)には圧倒され、一気に読まされる何ものかを感じさせられた。

 ピュリッツァー賞を受賞し、全米ベストセラーに輝いたそうである。コーエン兄弟の映画化で『ノー・カントリー』がアカデミー賞総なめにしたばかり。コーマック・マッカーシー恐るべし!

(2008/07/07)