神の名前 王国記VII



題名:神の名前 王国記VII
作者:花村萬月
発行:文藝春秋 2008.03.25 初版
価格:\1,667

 ここに来て、この途轍もない大作サーガ『王国記』は、加速している。

野辺山公園での王国の風景は、まず太郎の育ての親である百合香の現在で始まる。百合香は『PangPang』(『雲の影 王国記 III』収録)以来の登場だが、その頃、安アパートで赤羽神父と同居し、まだ太郎と言う名が冠せられていなかった「無」という赤ん坊を育てていた。百合香はその後、大人になるべく背伸びをしようとしている太郎と向き合い、自身また、とても成長していることがわかる。この女性の母性は、相変わらずだ。花村小説の原形とも言える女性像の核とも言うべき存在が、この百合香なのかもしれない。

 朧は、太郎を生む素材としての前座に過ぎず、真の王国は太郎の下に始まる、といった大きな展開はここニ作でようやく明らかになってきている。朧こそが、花村萬月私小説とも言うべき『ゲルマニウムの夜』において、主人公あったように、彼こそが王国を育てるものと確信していた読者を、作者は微妙に煙に巻いてみせる。

 そればかりか太郎には、特殊な能力がありすぎる。様々な他者の心を読めるばかりか、他者の心をコントロールすることまでもが可能なのである。忍者小説『錏娥哢?』は、超人間的な存在としての忍者の術を遊び心と哲学心が表裏入れ替わるような不思議な小説であったが、『王国記』における能力は、人と神とを隔てる何ものかになってゆく気がする。その能力を、太郎の周囲の人間が誰も疑わず、そして自然に受け入れていること自体が、奇妙でもある。

 さらにその三年後を描いた、本書第二中編『煉獄の香り』ではジャンを主軸にして、太郎の修学旅行がエポックとなる作品。太郎は学校に行かないが、既に17歳に成長。花村萬月の現在の棲家であり、過去の住処でもあった京都への愛着はとても深いらしく、『百万遍』では京都そのものが主人公であるような印象まで感じ取られた。本書では、太郎が京都に出かけ、一向は大文字山に登る。そう言えば作者のブログでも、山上からの写真を拝見したような……。

 本書では、さらに太郎の弟や妹が生まれる。その名をつけたのが百合香。太郎の弟だから次郎、女は花子。冗談で命名する名前が本当になり、彼らも育ってゆく。一緒に山道を辿りもする。そして宗教的風景の現出。多くの登山客が太郎や花子に付き従うようにして群がり、ともに山を下りて行くシーンは、もはやイエスの下山風景の如し。

 平易な文章で綴られた花村萬月の小説集であるが、この後、より一層宗教色を強めて行くのだろうか。だとしたら子のシリーズはどこへ向ってゆくのだろうか。花村文学はどこへ向って歩き続けるのだろうか。

 他の作品とは一線を画した、いわゆるブランド作品として注目を集めるだけに(現に地元地方図書館でもリクエスト無しに本シリーズは自動購入されているくらいだ)、興味深いところだ。

(2008/06/29)
最終更新:2008年06月30日 01:35