誰か Somebody





題名:誰か Somebody
作者:宮部みゆき
発行:文春文庫 2007.12.10 初刷(2003.11 初版)
価格:\648




 この作品自体は、宮部ミステリーの中で言えば、重たい部類ではない。軽ミステリーというと語弊があるかもしれないが、比較的、さらさらと読めてしまうという以外に、おそらく作者も肩の力を抜いて書いていると思える。しかしながら、他の作品との関連性に於いて少しばかり重要な作品であると言っておくべきだろう。

 『長い長い殺人』も、それ自体は、軽ミステリーといった肌触りの連作短編集であったけれど、実はその後の劇場型犯罪の代表格ともなった『模倣犯』執筆に向かうきっかけを作者は、そこで獲得しているような形跡が見られるのである。

 本書『誰か』は、その意味では、『名もなき毒』に至る現代的犯罪へのやはりエントランスになっているような作品でもある。『模倣犯』は『楽園』で前畑滋子の道のりを示してはいるが、さらに自己のトラウマの解決に向けて語られるべき何かを残しているかのように思われる。

 一方で、前畑滋子と同様、市井の私立探偵役とも言うべき杉村三郎の物語もまた、特殊な家庭環境をベースにして、彼のホームドラマを描きつつ、事件に絡んでゆかねばならないその生業の皮肉を含め、地を這うような探索の物語というイメージが強いのである。

 前畑滋子も、杉村三郎も、それぞれに配偶者の存在感が感じられる家庭人であり、同時に今の仕事を生きようと志す市井の誰もであり続ける。宮部作品ならではの、キャラクター造形と言えるし、それが優れているからこそ、読者は、ミステリーの核となるはずの事件そのものではなく、捜査から真実に至る主人公の道程の方に重心が偏ってしまうのだとも言える。

 本書での事件は、あまりにもミステリーらしからぬ小事件である。それでも人が一人死んでいるゆえに、オットー・ペンズラーによればやはりミステリーの定義に合致する。事件そのものは、主人公にも少しだけ恩義のある初老の男性が自転車に轢かれて死んだというものである。

 世にミステリはあまたあれども、これほどに瑣末な事件を、しかも素人探偵が捜査するなどという作品があるだろうか。誰か子供が自転車で通り過ぎて行くのを目撃した人がいるという証言まで揃っており、犯人は見つかっていないものの、警察は既に交通事故として現場の立て看板のみのおざなりな犯人探し以外、実質捜査を終了している。

 こんな事件だけれど、主人公は探る。死んだ恩人がなぜそこに行かねばならなかったのか、そこで一体何をしていたのか、ということに好奇心を擽られるのだ。死者の遺児である二人の娘たちや、周囲の人々、家族の過去、それらを追い続けるうちに、主人公の知らなかった恩人の過去が次第に明らかになってゆく。

 これぞミステリやハードボイルドの骨格である。私立探偵という国家資格がない日本で、私立探偵が卑しき街を歩き回る小説を書こうとするのには無理がある。誰もがその難関をクリアして、しかも和製ハードボイルドを描こうと苦心する。宮部みゆきは、最も難しいであろう市井の主人公に足と理由を与えて、肩で風切ることなく、ナチュラルに、世界に溶け込むようにして、探索者のモチーフを創り上げてしまう。そんな彼女の作品作りの動機・趣向性、といったものを、深く感じてしまう一冊であった。

 事件は単純だが、関わる人間が複雑であるという、実に風変わりな探偵小説シリーズの登場第一作である。『名もなき毒』を先に読んでしまったのが、今となって悔やまれる。

(2008/06/29)
最終更新:2008年06月30日 01:33