最後の陪審員



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題名:最後の陪審員 上/下
原題:The Last Juror (2004)
作者:ジョン・グリシャム John Grisham
訳者:白石 朗
発行:新潮文庫 2008.01.01 初版
価格:各\667

 先に『大統領特赦』が邦訳されたが、執筆順序としてはこちらが先行する。長篇小説としては、ロング・バケーション・モードに入ったかと思われたグリシャムだったが、ここ一年くらいの間に、ノンフィクション『無実』と合わせると一気に三作、いずれもが大作であり、力作であるところの、とてもグリシャム・ライクな、手を抜かぬ本ばかりが届けられている。訳者の白石朗さんは、相当のハードワークだったのではないろうか。やはりグリシャムは、白石さんの翻訳でなくてはならない。超訳なんていう原作を無視した無作法な出版物を、ぼくは絶対に読まないのだ。

 さて『大統領特赦』は、著者にしては珍しく、世界を股にかけた国際冒険小説といった趣きで、本当に唖然とさせられたのだが、もともと<読ませる>力のある作家だ。法廷から離れても、アーチャーやフォーサイスばりの国際的ストーリーを、しっかりした小説技法の下に書き込んで見せることができる、とばかりに、その器用ぶりを証明したようなエンターテインメントであった。

 だが、どこか一つ物足りなかった、というのも正直なところだ。果たして読者はグリシャムに、国際エンターテインメント小説などを求めていただろうか?

 否! 否なのでである。グリシャムの小説の持つ躍動感は、アメリカの病巣を抉り出そうとして、時代に斬り込んで行く時にこそ、真価が発揮されるのだ。初期の大傑作『評決のとき』は、売れなかったデビュー作と言われるが、ブレイクした第ニ作である『法律事務所』よりも、実はずっとずっと大きなテーマに挑んだ問題作であったゆえに、後に発掘され、映画化もされ、世界中に発信された。ぼくは今も、『評決のとき』はグリシャムの最高傑作だったと思う。むしろ初期作品ならではの100%グリシャム・テイストが活かされた作品として、愛着すら感じてしまう。

 その後、ストップの許されない作家として次々と傑作を世に出し、書き終わる前から映画化権は引っ張りだこになり、映画もまたそれぞれ話題になり、グリシャムはその黄金時代を築き上げたのだった。

 グリシャムはそれでもいきなりストップしたのである。ミステリーではない自伝的南部小説『ペインテッド・ハウス』を最後に、彼は立ち止まったのだ。ここ数年、『スキッピング・クリスマス』という掌編を残しただけで(この作品もハートウォーミングで実に楽しい)、グリシャムはあれほど続けていた全力疾走をやめてしまった。

 だからこそ本書の帯にある「完全復活!」の文字は、頼もしい。関口苑生氏のあとがきの力の入れようを見るだけで、グリシャムの復活が歓迎されている様子が深く伝わってくる。もちろん、大のグリシャム・ファンであるぼくにとっても、本書は一大エポックである。

 先に邦訳された『大統領特赦』で、本作ほどの狂喜を感じなかったのは、なにせ、グリシャムが変わってしまったのではないか、との不安があったせいでもある。だからこそ本書『最後の陪審員』で、ぼくらは安心を与えられ、グリシャムの完全復活を確信させられ、何よりも歓びを与えられるのだ。

 『評決のとき』の町に、舞台は戻ってきた。それも1970年の南部の町に。

ミシシッピ川州フォード郡クラントン(架空)。ベトナム戦争でアメリカは、死と暴力の匂いに疲弊し切っている。公民権運動はまだスタートラインに差し掛かったばかりのあの時代。本書の若き主人公は25歳にして地元新聞フォード・カウンティ・タイムスの社主となる。よそ者の新聞社オーナーは地元に沸き起こった事件に、青春を激しくスクランブルされるが、若さがすべてを凌駕する、その明るく、夢や目的性に満ちた、怖いもの知らずの破天荒ぶりが、次第に町にとってなくてはならないものになってゆく。

 容疑者は明確であり、裁判はつつがなく進行するが、無期懲役を言い渡された被告は陪審席に向かい「一人残らず復讐してやる」と宣言する。被告は、数年後仮出所する。かくして町では、あの裁判の陪審員が一人また一人と唐突な死を遂げてゆく。

 陪審員としては町で初めての存在となる黒人女性が、本書のキーとなる。語り手の新聞社主にとって、この女性は次第に母のような存在となってゆく。彼女の一家との交情こそが、小説に膨らみを与えてゆく。  彼女らの一族は、この町に黒人としての誇りを打ち立て、敬虔なクリスチャンとしても知られる。語り手の新聞社主は、青春小説の主人公のように彼女の一家から多くの見えない価値観を吸収してゆく。町の歴史や真実を理解してゆく。そして今も町に残る差別感情と戦い、人権の確立を、メディアという立場から応援してゆく。もちろん少なからぬ暴力に曝されるという恐怖と闘いながら。

 最後の最後まで、事件とともに、物語の時代背景は語られ続ける。ベトナムは無益に終息し、生き残った兵士たちが帰還し、公民権運動は州間を飛び火してゆく。黒人と白人が同じ学校に通うように定められるが、自治体は抵抗を訴える。黒人が選挙や司法に参加するようになってゆくが、暴力がこれを阻止する。そんな時代背景の中で、南部という最も差別の色濃い場所で、若い語り手が次第に成熟し一人の男として使命を果たしてゆく。黒人女性一家との別れまで連なるこの壮大な物語は、実に情感豊かに描かれてゆく。この小説こそ、帰ってきたグリシャム節以外のなにものでもない。

 久々の感動に噎せ返りそうになりながら、最終ページを閉じる。今さらグリシャムでもないのかもしれないが、あれこれ抜きにして考えると、やはり真実今年度のベストミステリと呼ぶ以外、あり得ないように思うのだが。

(2008/06/08)