疾走



題名:疾走
作者:東 直己
発行:角川春樹事務所 2008.4.8 初版
価格:\1,900

 もう東直己の本は読まない、という声を聴くことがある。なぜ? と聞いてみると、もう東直己はネタが尽きているだろうと言う。新興宗教法人の無差別テロ、道警の裏金、サイコ殺人、若者によるリンチ、報道問題、政治家汚職、性差別、民族差別、等々……。最早、札幌という地方都市を舞台にし続ける限り、ネタがないのだ、と。

 確かに東直己の場合、ネタが命のミステリー、ハードボイルドであるのかもしれない。ある意味、現実に材を取った話を作ってゆくことが東直己という作家の持ち味である。そういうテイストに惹かれた読者は、ネタが切れた途端、同じ一人の作家を追いかけ続けることに、どこかで飽きてゆくのかもしれない。

 そういう意味で言えば、この作品は、いまにも去りそうになっている同胞知人に対し、また新しいネタが出てきたからもう一冊、と叫んで、一時的にこの場にとどめることができそうな気がしないでもない。だからそれで何なのだ、と突っ込まれても困るのだが。

 さて本書のネタ。日高にある平取町の二風谷をモデルとして(作中では別の知名だが、近隣が現実の地名、鵡川・占冠・門別など、になっているため事実上特定できてしまう)、そこに核廃棄物処理施設を作ってしまった<エビス>グループの「機構」とやらが今回の悪玉である。実際には北海道では核廃棄物は道北の稚内市直南にある幌延町が候補地であったが、道としては高レベル廃棄物は受け入れられぬ、との結論に至った。現在高知県の四万十川周辺が候補地として名乗りをあげているのだったと思うが、北海道泊原発で生まれた核廃棄物は、六ヶ所村や四万十川流域の深地層に埋められるだけであり、サロベツから逃れたと言って歓んでいられる場合でないのが、実のところ真相である。

 しかし東直己は、北海道独立国にして東西冷戦を起こさせるほどの力技作家でもあるから(『沈黙の橋』で実績証明済み)、低レベル処理施設を、二風谷ダム問題でアイヌ民族差別をも巻き込んだ問題の土地に敢えて建設し、ここで、およそあり得ないような暴力装置をフル回転させてしまうという作家的暴挙も、あるいはあり、と見てよいのかもしれない。

 もちろん、その暴挙をミステリーの根幹として構築する題材に変えるべく、現実世界に下ろした碇の数は山ほどある。さらに小説中、平易に読ませるための、皮肉やユーモアを、ブラックに語り尽くしてみせる描写力がある。だからこそ、このエンターテインメントは成り立っているのだと思う。 人によっては、あまりの荒唐無稽さにダメ出しをするのかもしれない。しかし、あながち想像上の産物だとばかりも言えず、近未来SFとも呼べないほどに、リアルな何ものかを随所に感じるからこそ、ぼくの眼には、この小説がどこか活き活きして見えてしまうのである。

 そのリアリティを作るのは何かというと、バカ・キャラとしか言い表しようのない類型的日本人たちの姿である。とりわけ依存型日本人と呼ばれる者たちだ。それは、核処理施設反対運動に身を投じながらも、施設建設者や反対運動家たちが地元に金を落としてくれる効果を歓ぶ地元住民であったり、会社への奉仕精神しか頭にないために善悪の彼岸をいともたやすく越えてしまう企業職員たちであったり、アイヌ民族の文化を守る運動に人生の生き甲斐を感じるという本州からやってきた活動家たちの自己満足に擽られる人たちの姿であったりする。

 その一方で、リアルさには欠けるかもしれないが、本書で正義の鉄槌を下ろすべく、会社や組織の判断に背を向けてでも個人の判断を優先し、行動を選択してゆく人々の何と格好よいことか。報道の前線で断固立ち向かう者たちは鮮やかだし、本書ではほんのチョイ役でありながら重要なギアの役割を受け持つ便利屋や畝原は、お得な役柄だ。愚かな人たちが前半にいっぱい登場し、かっこいい人たちが後半にいっぱい登場するとそれだけで何故かカタルシスを感じてしまうのである。

 途方もないスケールで沸き起こるこの全活劇の中心人物として、引退した殺し屋・榊原健三が三たびの登場を果たす。彼との関係上、未だ任侠界にいる桐原も、本書では出番が多い。

さほど複雑なストーリーではない上に、この作家としては派手な部類に入る久々の榊原シリーズとあって、さすがにジェットコースター・ノヴェルとなっている。重苦しい話題を語るもよいが、単純に娯楽小説として読む側に徹してみたいところ。もちろん東直己の語るこの世のよしなしごと、この物語で見せてくれたような権力の暴走といったものへの危惧は日常的に潜んでいると思わなければならないのだろう。しかし、それ以上に、本書はいっそフィクションとして楽しんでしまいたい。

蛇足だが、最近ウタリ協会やアイヌ活動家のすべてが奇麗事ではなく胡散臭いものがある、と誰かに聴いたような気がする。と、思い当たったのが、『私の庭 蝦夷地篇』を書いた作家・花村萬月氏であった。私へのメールのなかであった、かもしれない。その胡散臭さのようなものを東直己が作中で見事ブラックに表現しているので、少し納得できたものがあった。世界も人間も見た通りではない。裏に潜む仕組みに気をつけろ、ということだろう。

(2008/05/06)
最終更新:2008年05月06日 18:27