桜庭一樹読書日記 少年になり、本を買うのだ。






題名:桜庭一樹読書日記 少年になり、本を買うのだ。
作者:桜庭一樹
発行:東京創元社 2007.07.31 初版
価格:\1,600



 お父さんが大好き、と表明する部分が、一番印象に残った。息子が母親に抱く愛情の名残りみたいなものをマザコンと称すのに対し、女性が父親に抱くファーザー・コンプレックスというのは、言葉としてもイメージとしても、なぜかマイナー・リーグだ。しかし桜庭一樹の小説を読んだ人は気づくと思うけれど、病的なまでのファザコン。これは確信できる。

 その作中の病的印象とは裏腹に、さすが日記だ、現実的だ、本書でのファザコンは明るく透明度が高く、純粋で、健康優良児のようなファザコンである。父が娘の名を犬と間違えることでショックを受ける直木賞作家。彼女は、後に、父が犬を叱っているのを見て、犬にいい気味だと思う。完全なる対抗意識。父に対する独占欲。我が家には女の子がいなかったので、娘という学名の生き物が全然わからない。今でも妻の実家にゆくと、妻と両親兄弟との関係に大いなる戸惑いを覚える。

 桜庭一樹は読書家である。ネットではなく書店に足を運び本を買う。中性を目指す、とかわけのわからない方向性について本人は表明し、「あたし」ではなく「俺」という一人称を駆使する。そう言えば、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のサブ・ヒロイン海野藻屑は、自分のことを僕と呼んでいたっけ。

 作家として凄いなあ、と感じるのは、『私の男』を書くことで容赦ない世界に魂の部分から彼女自らが突入してしまうことだ。最初に挙げたファザコンどころではない。近親相姦の世界である。もちろん『砂糖菓子……』に繋がってしまう世界でもある。魂の部分で突入すると、体重までもが激減してしまう。ものも食えなくなる。桜庭一樹が『私の男』の構想を練り、連載小説としての仕事にかかり切りにになっている時にだけ、彼女は本が読めなくなり、同署日記すら中断を余儀なくされる。そして田舎に帰ると、痩せたね、と母にいきなり言われ、心配される。だからこそわかる。『私の男』がどれだけの作品であったか、ということが。

 桜庭一樹は空手家でもあった。ちと驚き。そう言えば、彼女の小説『少女には向かい職業』では、13歳の少女が二人も人を殺すところから物語が始まるのだった。銃器への憧れを日記で示す女流作家。異常、とも思える強さへのこだわり。少年小説を読んだ影響なのかもしれない。だから少年となって、冒険への旅立ちともなるべき「本を買う」ことに楽しみを見出すのかもしれない。

 一見、がさつにも思える自分描写。お洒落にこだわらず、書店と我が家を往復する。酒も飲み、本も読み、豪快な一面を見せる。それでいて、どこか、これ以上ないほど、繊細……。本を紹介する切り口だけでもわかる。今にも自殺しそうな、リストカットでもしそうな、少女としての一面がある。彼女の書いた小説のあちこちで顔を覗かせていた、傷つきやすいガラス、を思わせる幼い少女が、作家の日記の中でどこか浮き立ってくる印象がある。

 この脆さは、一体なんだろう、と思う。おそらくは、誰もが懐に秘めている弱さ。万人に共通するのかもしれない虚無への独特の好奇心。生と死ということへの強烈なこだわり。そうした真剣で一途な眼差しを、物語やユーモアという経験値で鎧い隠すために彼女は文学を学んだのだろうか。本を読むのだろうか。

 日記、という形式は、本では実のところ読みづらい。本来は、東京創元社のホームページに連載されたものである。これを書いている現在も続編がしっかりとアップロードされており、無料で読むことができる。でも実際には、この読書日記は、彼女の小説作品よりも高い定価で書店に並んでいる。小説をもっと高値で売りたまえ、と言いたい。ネットなら無料で読めら文章を掻き集めるだけで、彼女の小説以上の値段をつけてしまうという商行為自体に、無性に憤りを感じてしまうのは、果たしてぼくだけなのであろうか。それとも本書に沢山顔を出し、作者がデートを繰り返す版元の編集者・K島氏への醜い嫉妬が、知らず湧き出てしまっているのだろうか。うーむ。

(2008/03/31)
最終更新:2008年03月31日 22:22