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石のささやき




題名:石のささやき
原題:The Clooud Of Unknowing (2007)
作者:トマス・H・クック Thomas H. Cook
訳者:村松 潔
発行:文春文庫 2007.09.10 初版
価格:\733



 『アルタード・ステイツ』という映画をご存知だろうか。ウィリアム・ハートがマッド・サイエンティストを演じていて、自らのDNAの集団記憶と呼べるようなもののなかから古代祖先の記憶を引き出そうとする実験に満ちた危険な作品である。ユングの心理学の凄いところは、心には民族的記憶が刷り込まれており、それをシンボルというかたちで人間は歴史に刻んでいるといった、連鎖的共有記憶に関する部分だと、常々思っているのだが、DNAの研究が進むにつれ、科学の分野でも古代の記憶が刷り込まれている可能性について否定的ではなくなったいった。そうしたところを、カルト的な映画という形で残したのが『アルタード・ステイツ』なのだと、ぼくは勝手に単純に思い込んできたものだ。

 古代の記憶とは、即ち殺意や暴力に繋がる何者かでもある。人類が生き残るために、日々を生きるために、食糧を得るために、別の生き物を殺害し、捕食してきたことは間違いない。さらに人間同士のテリトリー争いとしての共食いの記憶すら、われわれのDNAは持っているのかもしれない。人間と殺意とは、こうして考えればともにあるものであり、だからこそ、人間はルール、モラル、といった取り決めごと、哲学、倫理、秩序といった概念がなくては、ともに生活を安定させることができないのだと思う。

 思えば、犯罪とはそうした約束事から押し出されてなおかつ犯してしまう人類の極めてナチュラルな、憎悪という感情の行き着く果てに定められたものであるのかもしれない。

 クックは常に、犯罪に巻き込まれ崩壊してゆく、罪深き家族の形を描いてきた作家である。家族の数だけ物語がある、とでもいうように、形を変え、時代を変え、舞台を変えて、クックはそれぞれの家族固有の物語を紡ぎ出してきた。

 本書では、ある障害児の溺死をきっかけに、精神のバランスが損なわれてゆく母親の姿を、弟の視点から描いている。姉の魂の失墜のある一要素として、既に亡くなっている父の統合失調症という病気が説明される。姉も弟も、また子供たちも、父の宿していた内なる狂気を遺伝子のうちに抱え込む恐怖に曝されているらしく、自分が正気でいることにしがみつこうと足掻いている姿が、実に尋常ではない。

 他者である刑事と、語り手である主人公の間にある距離をひしひしと感じさせながら、内なる家族という血の恐怖に脅える言葉が断片的に語られてゆく。いつもながらに悲劇からのスタートであり、全容は全巻を読み終えるまでは語り尽くされることがない。クックの最近の小説作りは、似た手法に拘泥しており、そこから崩れることなく、常に別の物語を、別の家族を、新しく語り出すところから始まるのだ。

 父は姉に、文学を徹底的に仕込んでゆく。落ちこぼれの弟は父に指弾され、軽蔑され、唾棄される。だが姉は優秀な父の継承者として、狂気の渕に捉われてもなお、文豪たちの古典の引用を投げつける。そして古代の骨を探り、人類の破壊の記憶をなぞるようになる。作中の古代の犠牲者の骨、"YDE GIRL"を実際にgoogleで検索すると、しっかりと殺された少女の骨の写真に行き当たるので驚いた。作中でも主人公はネットを探り、姉の狂気の片鱗に触れてしまう。

 ある大切な人の肉体的な死により、親、兄弟の魂が死んでゆく。クックはそうした魂の死をことのほか抉り出し、殺人よりも、喪失することによる悲劇を描き出す作家である。魂の原理。巻き戻すことのできない時計。重たく、灰色な原風景。それらをリリシズム溢れる文体で、しかもだからこそ痛みいっぱいに描き出す。

 本書はいつも以上に、ミステリという場所からは少し距離を置いているように見える。悲劇の源であった少年の死が、殺人なのか事故なのかわからぬままに、それを見つめる側の関係者の狂気という題材に焦点を当てて語っているからだ。疑いにより崩壊してゆく、日常生活の脆さ、といったものを追跡しているからだ。歯切れの悪い物語のようにも聴こえるが、クックの最早これが基調なのかとも思える。娯楽色が弱まった分、やけに迫力ばかりが増しているように思える。

(2008/03/30)