ベスト・アメリカン・ミステリ アイデンティティ・クラブ





題名 ベスト・アメリカン・ミステリ アイデンティティ・クラブ
原題:The Best American Mystery Stories 2005(2005)
作者:ジョイス・キャロル・オーツ&オットー・ペンズラー編 Joyce Carol Oates, Otto Penzler
訳者:横山啓明、他
発行:ハヤカワ・ミステリ 2006.12.15 初版
価格:\1,900


 毎年、年鑑のように発行される、その都市のアメリカ短篇小説ベスト20選である。書店主、書評家、編集人、アンソロジストなど各種の顔を持つオットー・ペンズラーが、時の作家と組んで選び抜いた自信溢れる20作。アンソロジストというのは日本ではあまり耳にしない職業かもしれないが、多くを読み、テーマ別にアンソロジーを編む人のことだから、見えない部分での読書量は神の如しといったところか。

 ペンズラー本人による序文では、それでも多くの作品をふるいにかけるミシェル・スラング女史が、ミステリ短篇作品をあらゆるメディアから探し出し、抽出する。選び抜かれた作品からペンズラーが50篇まで絞り込み、ゲスト・エディターである時の作家が、そこから最終的に20篇へと絞り込む作業の結果が本書である。

 優れた作品というのは、特に有名な作家ばかりの手によるものではなく、特に短篇作品ということもあって、短篇専門作家、新人、素人に毛が生えたような無名の人の手になるものも、少なくない。少なくとも本書では、ミステリが本業とは言えない文豪であるらしいJ・C・オーツという女流作家(この人もぼくは本シリーズでしか知らないのだ)の選によるせいか、ミステリ畑の読者には、いや日本人読者には馴染みのない作家が多く居並んでいる。

 だから、というのでもないが、本シリーズに取り組むのがいつも容易ではない。気持ちの整理が必要と言おうか、なかなかに質量ともに重量感があり、ある種の決意が必要とされるせいで、いつもリアルタイムではなく、何年も前に編集されたものを今頃読んでいる、といった格好になる。2005年のアンソロジーを三年も後に読んでいるのもそういうわけだし、2006年のアンソロジーが順番を待って書棚で存在感をアピールしているプレッシャーにぼくは常にへこたれそうになっている。

 重たさにはいろいろな理由があるのだ。まず、見慣れぬ作家が多いということで、何の心の準備もされていないところで、選び抜かれた傑作にいきなり触れるということへの慎重さが何故か要求されているような気になること。おいそれと片手間に読む、というよりは、初物作家への興味や新鮮な作品への丁寧なタッチの仕方というところでつい構えてしまうこちら側の心境がまず重たさの元凶でもあるのだ。

 それに、ぼくらが読む通常の短編集とはどのくらいの作品が収録されているだろうか。日本人有名作家の作品集であれば、多いものでも8編。少なければ3編、と言ったところだろう。分厚いディーヴァーの『クリスマス・プレゼント』で16編。そこへゆくと、本シリーズは毎年20作を収録(ときに版権の都合で翻訳版のみ一作くらい足りないことがあるとしても)しているのだ。

 作品によりページ数はまちまちである。10ページの短い作品もあれば、その3倍のものもある。ポケミスは2段組で文字が詰まっているので、30ページともなると読みごたえが十分にある。短篇でここまで書き込まなくとも、と思われる重厚なものが多い。

 ゲスト・エディターによりけりだが、人気作家によるときは人気作家が集まることが多く、重厚な作家によるときは重厚な作品が多く、軽妙な作家によるときには軽妙洒脱な作品が多く集まる傾向にあるような気がしている。純文学畑のゲスト・エディターによる本書は、どちらかと言えば起承転結の有無よりも、文章描写のクオリティなどで選択されているケースが多いのかと思われる部分が強く、例えばエド・マクベインやローレンス・ブロック選考の作品集よりは、より重たいように感じられる。

 それが良い悪いなのではなく、好き嫌いなのでもなく、どの作品も素晴らしい、読みごたえがあるので、これは傾向、というだけの話である。

 ちなみにタイトル作になる作品はいつもどれも面白くぐいぐいひきつけられるものが多い。原題にはないので、日本側編者のセンスだとは思うが、できることならこうしたタイトルはなしの状態でニュートラルに読みたい。地味でけっこう。信頼の置けるブランドとして自信を持って出し続けていただきたい。もちろん、こうした作品集がさほど人気を博すわけでもないということは承知の上でなおかつ、そう願いたい。価値は確実にある、と思う。

 ちなみにデニス・レヘイン、スコット・トゥローなどの有名作家の作品は先入観ばかりでなく、やはりとても抜きん出て見えるように思うのだが、これも結局のところ錯覚なのだろうか?

(2008.02.23)