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龍の契り





題名:龍の契り
作者:服部真澄
発行:祥伝社 95.7.20 初版 / 95.8.10 3刷
価格:\1,800 (本体\1,748)




 一ヶ月も経たないうちに増刷を二度も重ねているのだから、祥伝社としては
かなりの当たり商品だし、どういう経路でこの本がスピーディに話題になってあっという間に売れてゆくのか、というところにもぼくは大変興味を持ってしまう。

 さて女流作者のデビュー作ということで、非常に力の入った作品で、これは準備に相当の時間を費やしたであろうと思われる。むしろプロットを練り、いろいろな考証を終えてしまえば、書くのにはそう時間をかけないで済んだのではないか、とも思える。文章への魅力はゆえに感じないんだけど、別に文章への魅力などにこだわるのぼくの個人的な感覚だから、気にしない人はそれでいいと思う。

 でも、やはり「十年に一人」はないと思ったのが正直なところ。ぼくはこの手の仕掛けの多い本は好きなほうだけど、仕掛けは数が多ければいいというものではない。このような三人称複数文体によるジェフリー・アーチャーやフレデリック・フォーサイスのような小説は、いわゆる仕掛けの多さで読者を引っ張ってゆくタイプの小説なんだけど、これはただそれだけのジャンルということではないかい? などと思ってしまう。

 世の中には一人称の小説もあれば、三人称だけど、これほど裏技の多くない、もう少し、地味目のストーリーもあって、ではそういう本は面白くないのか、というと、ぼくは当然、否、いい本は仕掛けの多さに別に比例しやしない、と答えるしかないのだ。

 例えばぼくは高村薫をだってけっこう批判しながらも、やはりあれだけ批判した『照柿』と本書を較べたら、ぼくは『照柿』の方が、やはりすごい小説だと思ってしまうし、自分の読書生活にとって、遥かに重いものを運んで来たりする。

 そんなわけで特にものすごーく秀逸な逸品とはぼくはこれをとても感じられなかった。秀逸な作品だと思うが、ものすごく秀逸と言うのでもない、といったところであり、趣味としてはエンターテインメントならもう少し謀略は小さくコンパクトに纏まっていて欲しいし、所詮、映画文化の東西に堕ちる話程度なら、登場人物ももう少し削ってスリムでタイトな話にして欲しい。そういう意味では話は連綿と面白く展開するのだけど、こちらの集中力が削がれるようなプロットであった。三人称複数の小説の難しさがそこにあるのかもしれない。

 それから<チャーリー>の記述なんかは、もうこれ逢坂剛だね(^^;) 最後に来てますます、おお、これは逢坂剛だと思ってしまった(^^;)。

 東西文明の対立の構図と、これに関わる独特の出自を持つ登場人物たちの描かれ方がせっかくの見せ所なのに、今ひとつ、伝わってこないのも困った。『エトロフ発緊急電』の人物たちのような、モチベーション、出自ゆえの宿命感、意思の強さ、鋭さはこの小説には見つからなかった。

 というわけでやはりぼくは冒険小説の先駆者たちのほうが、まだまだ遥かに上を行っていると思えるので、ホラの吹き方、大嘘のつき方など、この作者にはもう少し年輪を重ねていい作家に成熟して欲しいと思ったりした。ぼくはこの手の作品にはけっこう贅沢なのである。

 好ききらいがけっこう分かれる作品であるなら、評価という意味でももう少し分離して欲しい。こういうサービス満点の作品を書けばいいのだ、なんて風潮が生まれたら、書かれざる何か----行間から漂って来る本の匂いのようなもの----を愉しみたいという、気難しい読者にはたまらないのである。

(1995.08.17)