夜ごとの闇の奥底で





題名:夜ごとの闇の奥底で
作者:小池真理子
発行:新潮ミステリー倶楽部 1993.1.20 初版
価格:\1,600(本体\1,553)



 【ネタバレ警報】

 さて話題の本を読みました。こういうホラーっぽいものって、ぼく自身あまり読まないでいたのだけれど、今こうして手にとってみると、いくつかのサイコ・スリラーに特有な、ワイドドラマ的お約束ごとというのが、目につくのね。それらがけっこう海外の秀逸なサイコ・スリラーに馴れている感覚としてはどこかひっかかったりしちゃう。そういうひっかかりがあると、読者って作品世界に十分浸り切ることができない。困ったものです。

 物語は面白いワイドドラマ的ストーリーだと思う。ではなぜ、ただ「面白い」ではなく「ワイドドラマ的」とも評さねばならないのか?

 というのは面白さ、小説の牽引力の強さという点では申し分ない展開なんですね。それがどうしたわけかひっかかりによって楽しめなくなっちゃう。それは肝心な部分でのワイドドラマ的いい加減さ・・・・ つまりプロット考証の不確かさ、会話の見事なほどのわざとらしさ、などであるのだと思う。今回に限り、会話のわざとらしさについては、その作り物めいた口語体を使うのが怪しげな父親であるから、まあ許せる。 狂人は何を言っても許されるからなあ (^^;) しかし、プロットという意味では、おかしなところが沢山あるような気がする。

 まず主人公が拳銃を山に埋めるというアイデアなんであるけど、普通こういう重たいものって埋めるより、どこかの水底 (海とか湖とか川) に沈めちゃう方が楽に処分できると思う。たまたま小海線方面に仕事があるのなら、しかもわざわざ松原湖のそばに行ったなら湖に投げ込んでしまえばいいのだ。そういうことを男が考えもしないというところが、まずおかしい。おかし過ぎる。湖にさっさと捨てたところで、この小説が成り立たなくなるとは思えない。拳銃は最後まで大した役に立ってはいないんだから、そうしてごく自然主義的に処分されちゃったとしても良かったと思うけど。ぼくにはこうした「小説だから」で許されるような不自然さが、実はあまり許せないのです。だって優れた面白小説というのは、そういう点をもきちんとクリアするべきであると思うもの。読者に引っかかりを残さないというのは、今やこの種の小説の義務でもあると思うんだがなあ。

 百歩譲ってそれは置いとくとする。では、亜美が後生大事に隠し持っていた地下室の鍵を、少しの着替えの間に鏡台の上にぽんと見えるように置いてしまうこと、それが父親に見つかること、こういうシーンは恐怖小説特有の作者の都合であるような気がするのである。なぜオケツで鍵を隠しちゃわないんだ? その前に何故一瞬であるとは言え鍵を何かの下に置くとか慎重な行動を取らないんだ? なぜそれほど見つかることを恐れていながらいい加減な行動をとるんだ? という点で心理と行動が一致してないように見えるんですね。おまけにノックもしない父親の足音に気づきもしない、 ノックもしない父親に文句も言わない、 ただただ恐れている(^^;)

 これも百歩譲ってよしとしよう。恐怖の演出だから仕方ないのだ、としよう。では地下室の男を救い出そうとするシーン。かわいいお弁当箱を持参して、逃げ出す前にコーヒーを飲んでから、なんていう悠長な考えを、鍵を見られたかもしれない不安に怯える亜美がどうして抱くことができるのだ? また男も処刑されるという恐怖に対してどうしてそんなに鈍くいられるんだ? なぜ今夜脱出じゃなくて明日の夜脱出という考えになれるんだ? そんなに切羽詰まった状況じゃないって言うのだろうか? どうもひっかかりまくるのである。

 そういう悠長さに対しても百歩譲りましょう。では最後。男は財布を忘れたっていうけど、どうやって高速の料金所を出て来れたのだ? ポケットにある小銭程度の金で妹に電話はかけられただろうけど、都内から中央高速の須玉I.C.までだと、けっこう高額の料金を取られるのだ。しかも、八王子では検問を兼ねた料金所みたいなものがあって、 ここで 500 円は確実に払わねばならないんだ。500 円プラス「甲府の辺り」からの電話料金ってポケットの中の小銭で足りるだろうか? または足りるかどうか不安になりはしないんだろうか? テレフォンカードも持ってない人が、ハイカだけは持っていたのだ、という状況も考えにくそうである。

 高速の料金所で払うべき金がないというのは、 経験者にとって (^^;) けっこう大変な状況です。身分証明書も何もかも、すべて財布と一緒に忘れたりしたら、それこそ大変であるらしい。この男はどうやって、いくつもの死地をかい潜って来たのでしょうか?

 というわけで本格推理小説が人間不在のトリック優先と酷評されるけど、恐怖モノも作りがいい加減だと、こういう風に読者を心配させながらの危うい走行をやらかしてしまうわけですね。この本は危ういどころか、財布に関しては完全に破綻していると言って良いのではないでしょうか?

(1993.03.23)
最終更新:2008年03月20日 15:15