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暗夜を渉る


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題名:暗夜を渉る
原題:Night Passage (1997)
著者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:菊池 光
発行:早川書房 2000.12.15 初版
価格:\1,900

 忘れかけていたスペンサー・シリーズをおよそ10年くらいの時間を隔て、ここのところ継続して読んでいる。10年以上昔に初めてパーカーを読んだ時は『儀式』まで一気読みだった。その最中にノン・シリーズで『銃撃の森』を、その後ぽつんと一冊だけ出たときの『過ぎ去りし日々』をぼくは読んだ。特に『過ぎ去りし日々』は、その中身の濃さに驚き、パーカー作品をそんなにも楽しむことのできた自分に少なからず驚きを感じたものだった。

 さて今ぼくがなぜスペンサー・シリーズの追いかけを今さら再開したのか。そのきっかけになったのが本書であり、主人公ジェッシイ・ストーンだったのである。実を言うと本書は積ん読のまま一年が過ぎていたのだが、二作目の『忍び寄る牙』が出たので、この際ということで改めて重い腰に鞭を打って読み始めたわけである。

 そして、単純にぼくははまった。パーカーの三人称で綴られる新シリーズというのは、それなりにこの作家にとっては冒険であったのではないかという気がする。シーンの転換などというプロット依存の作品をそうは書かなかった作家であるだけに、意外な対決小説的展開が客観的で好ましかった。

 ぼくはもともと探偵小説より、多くの部分で警察小説に惹かれる部分がある。ハードボイルド的語り口の妙味よりは、犯罪捜査や犯罪者との戦い、警察内部の濁りの中でのサバイバルを、プライベートな心情描写よりは街そのもののリアルな活写……に興味を覚えてきた。だからパーカーのような、どちらかと言えば心情や哲学の展開に多くのページを裂く作家が、警察小説というある意味で客観的な負荷の多いジャンルにどう立ち向かってゆくのか、大変好奇心をくすぐるものがあった。

 結果、主人公に語らせない三人称の文体という手法と、相変わらず主人公が女性との間の葛藤を軸にしているいわゆるパーカー的状況とが、背反せず巧くストーリーに乗り切っているので安心した。悪の支配する街によそ者の保安官が現れて武力で正義のために戦うウエスタン……のような、今時珍しいほどストレートな西部劇決闘体質のストーリーに、スペンサーのような女々しさを少しだけスパイスとしてまぶしたってところだろうか。

 ラストシーンはパーカーだけの特徴的な選択なのだろうか? それともアメリカではけっこう自然な選択として受け入れられる種類のものなのだろうか? 簡単に男女が近づき合える機会の多さ。喋り合う若い頃からの風潮。デートに運びやすいパーティやバー。空気と舞台設定。その簡便な出会い故か結果的に破綻が多い事実。それがアメリカ的ドラマの礎だとすると、逆に、潔さとか、頑固さ、意地、決断したことを撤回しまいとするモラル、無口、あるいは表現しないこと……そうした日本的価値観が先に立つために、ぼくのような人間には社交的な欧米の人々の恋愛の捉え方というのはわかりにくい。

 だからアメリカ人のやり方との距離感を単に感じるだけでいいのか、それともパーカーのストーリー造りの方に粗雑さを感じるべきなのか、ぼくは往々にしてわからなくなる。

 しかし文化の差が小説の作者・読者間に横たわる埋め難い溝……というところにまでは、ぼくはこの作品程度なら感じない。それで思ったのだ。とにかく二作目『忍び寄る牙』を読んで、面白かったらスペンサー・シリーズに戻ってみようか、と。結果は最初に書いたとおりになったのである。