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少女七竈と七人の可愛そうな大人





題名:少女七竈と七人の可愛そうな大人
作者:桜庭一樹
発行:角川書店 2006.06.30 初版
価格:\1,400




 女性作家だからだと思うけれど、どこかに少女漫画的な気配が残る。

 小説なのに、漫画、というと御幣があるかもしれないが、少女漫画とは、少年漫画よりも、遥かに小説的で散文的なのではないだろうか。少女漫画家は、絵とセリフとで表現し、桜庭一樹は文章で少女漫画を表現する。

 文章で少女漫画を表現するというのは、ある意味、とても大変なことだ。なぜなら少女漫画は、少年漫画よりも、ずっとずっと豊かな表現力を駆使しているように思うからだ。漫画という形式でしか表現できない、静と動のバランス、沈黙や間、心の内面を表現するページ構成や、背景、小道具の数々。そうした表現力のすべを駆使した漫画という手法を、文章のみで削り出してゆく困難さこそが、小説書きに求められるものであろうと思う。

 少女漫画に共通するものの一つに、とても美しい少年と少女、というパターンがある。思えば、桜庭一樹作品に不可欠な要素とは、まず最初にこのことなのかもしれない。

 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の少女・海野藻屑は美しく、彼女の級友・山田なぎさは、藻屑によればクラスで二番目に美しい。

 本書では、ヒロインの川村七竈は美しく、彼女の唯一の親友である少年・雪風も、同じくらい美しい。母がいんらんだと娘は美しく生まれる……という奇妙で印象的な定義に始まるこの小説は、徹頭徹尾、美しい少女ということにこだわり、このことを異形と表現し、彼らの顔を、かんばせと表現する。

 この小説世界にはごく稀な美しいものと、多くのほとんどの、そうではないものが存在する。

 この奇妙な世界のモデルとなった土地は、旭川。それも冬の。旭川の冬は、氷点下20度を下回ることが、ざらである。雪はたっぷりと降り積もるが、札幌と違い、内陸にあるから、横風が吹きつけない。どちらの町も経験した人間は、旭川の方が気温は低いのに、札幌はとても寒く感じる、と言う。札幌には、石狩湾から吹きつけるシベリア気団の風が激しく吹きつける。夏も冬も風がない街と、風の吹く街という両極であり続ける。

 旭川の町には、雪が音もなく、静かに、上から下へと、縦の落下線となって、ひたすら降り積もってゆく。

 そんな町、旭川、という妙に家と家の間が広く取られた、広漠なる土地、この町を、鳥取出身の作家・桜庭一樹が、幻想的な寓話の舞台のように使ってみせるのだ。とても珍しく、奇妙な舞台ではある。

 章ごとに視点が入れ替わり、一人称で語り継がれる。少女、犬、母親、少女、犬、少女と言うように。警察犬を引退して川村家に引き取られてきたビショップの視点がなかなかに風変わりで楽しい。うぉん、としか彼は吼えないのに、人間たちが複雑な心理劇を彼の犬小屋の回りで展開してみせる。それを老犬が語る。

 いんらんである七竈の母は、校庭のナナカマドの木の下で、行きずりの男と情を交わしてできた娘に、七竈と名付けたのだった。どの小説でも、奇妙過ぎる名前を主人公に与える桜庭ワールドではあるが、七竈なる名は、いくらなんでも、と思われる。しかもタイトルに刻み込まれた名である。ナナカマドとは、七回火にくべても燃え尽きない、と言われている。そんなタフな街路樹が、旭川の街のどこにでも生えているみたいだ、この小説の世界でも、実際の世界でも。

 札幌に住んでいると、街路樹はナナカマドかライラックかである。ライラックはフランス語ではリラ。ナナカマドはフランス語ではなんと呼ばれるのかわからない。北海道では、普通の家庭の庭でも、ナナカマドの木はよく植えられている。北アルプスの涸沢ヒュッテのまわりのナナカマドとは少し種類が違うようだ。風や雪に痛めつけられる高山の地を這う種類のナナカマドではなく、北海道に植生する種類は、背の高い普通の木である。どちらも秋に赤い実をつけるのだが。そしてどちらも、雪が降って、年を越しても、雪が消える季節まで、実を落とさず、赤い木の実に、白い雪を被って、寒気に身を震わせている。

 七竈と雪風は、奇妙なことに鉄道マニアである。レールの上で模型の列車を走らせて、二人はじっと飽くことなく、鉄の玩具を見つめている。がたたん、七竈がそう言うと、ごととん、と雪風が答える。まるで双子みたいに。線路のむこうとこっちで。

 かように絵的で、素材はデリケートなものが多く、奇妙で印象的でインパクトが強い。強烈な個性を持つ人物ばかりが奏でる、奇妙なできごとばかりで綴られた、少しミステリアスな青春小説である。母のいんらんと恋愛がもたらした、錯綜した人間関係図が、小説の進行とともにゆっくりと、少女の中でほぐれてゆく。

 七竈の旅立ちは、母からの旅立ちでもある。『私の男』で描かれた、父からの旅立ちと相似する構図なのだろうか。何度も書き続けられるもの。桜庭一樹の小説に欠かすことのできない、親と子という因縁。これもそうしたテーマが輻輳する、一つの別の物語であったのだ。

(2008/03/08)