神々の山嶺







題名:神々の山嶺(いただき) / 上下
作者:夢枕獏
発行:集英社 1997.9.16 第3版 1997.8.10 初版
価格:各\1,800

 ぼくがこの本を読んで痛いほど思い出させられたのは、ぼくの個人史的な次元での、ある一時代のことである。あとさきの人生を構うことなく山に打ち込んでいた頃のこと。夢に山ばかりが出てきていた。つきあっていた女性の気持ちよりも自分の中で山の方が優先されて、お互いに深く傷ついた時代。それでも山を思う心が切ないほど痛かったあの時代。そういう山男の特有の生活そのもの、価値感そのもの。今そこに身を置いていないだけに引き攣れるような感覚で思い出すあの頃の自分が、この本で甦る思いがする。

 ぼくにそういう時間を与えてくれたのが、この本。作者がストレートの直球で山岳小説に挑んで出来上がった悔いのない作品だ、というこの本。ストーリーよりも山への思いと、それが直線であればあるだけ社会からは屈折したようにしか見えない山への欲望、こうしたものがよく書けていて、ひりひりするような小説であった。

 重版だしそれなりによく売れている本なのだと思うが、普通の夢枕ファンがこういう本をどのように読むのか、ぼくには想像もできない。ぼくには恐ろしく個人的に共感のできるこの種の主人公が本の中にいたというだけだ。

 かつて谷甲州が『遥かなり神々の座』でこの手の登山家の心情を描いてみせたけれども、冒険小説という枠の中で『神々の座を越えて』のいわゆる英国風のストレートな冒険小説の王道という価値の方が、ぼくには強く感じられた。その意味で、本書の方は作者いうとおりのストレートの直球で、これを受けるにはぼくのほうはいささかやわになっていたという次第だった。

 ただ自分のなかに眠っている山を渇望する獣の存在を、この本は揺り起こされてしまった。こういう読書体験は、他の本ではできないものであり、その渇望自体は、他にかけがえのないものである。

(1997.10.12)
最終更新:2008年03月05日 21:38