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神無き月十番目の夜


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題名:神無き月十番目の夜
作者:飯嶋和一
発行:河出書房新社 1997.6.25 初版
価格:\1,800

 独自の小説作法でありテーマであり題材であるのだ、と思うが、特定の個人を主人公に据えた小説でないところは、船戸の一連の迫害史小説群と違って、ぼくには親しみ難いものを感じさせられてしまった。

 徳川の支配体制のスタート時点における歴史的リアリズムを、個人の物語的なもの以上に前面に据えている作者の志はわかる気がするけれど、やはりぼくは歴史の検証を俯瞰的に読むというよりは、エンターテインメントとしての小説を内側からのめりこんで愉しむという方を、優先してしまうためか、残念ながら本書はそれほど好みとは言えませんでした。

 例えば船戸の『蝦夷地別件』は、同じように大量虐殺を描いたものであっても、より物語性とか神話性の高い小説であるように思う。本書を船戸と比較すること自体間違っているのかもしれないけれど、本書は、巷間にほとんど知られていない歴史上のできごとを作者の想像の裡に世に再現して知らしめた、まさにそれ以上でもそれ以下でもない本であると思ってしまうのだ。だからそのできごと自体への興味の方が先に行ってしまって、小説としての優位性のようなものはむしろ目立たなくなってしまうと言おうか。もっとも小説はその題材選びでほとんど決まると言って言えないこともないと思うけれども。

 徳川の時代的迫害を描いたものとしては白土三平の劇画『カムイ伝』を思い出させるが、あれはあれで壮大な叙事詩であって、『カムイ伝』により徳川政権への強烈な印象を持ってしまったぼくのような読者には、本書の方は敢えてそれほどの驚きも抵抗もなく理解できる事実の一例としか言いようがないのである。というわけで事件そのものにもそれほど驚異を感じることができなかった、ぼくの場合。

 となると、事件への驚きがない読者には、この手の本はより主人公重視的に創作してもらわないと厳しいかなという印象になってしまうのである。筆力、想像力は確かに大したものだと思うけれど、FADVというジャンル本としてどうかと言うと、失礼ながら、ぼくには少し物足りなかったのです。

(1997.10.19)