国境事変






題名:国境事変
作者:誉田哲也
発行:中央公論新社 2007.11.25 初版
価格:\1,600




 つい先だって車検工場のロビーにて、愛車を点検してもらっている間、置いてある雑誌を何気なく開くと、そこには国境の写真が載せられてあった。

国境、と言われても、日本人にはあまりぴんと来ないものだ。

北海道であれば、国後島を眼前に望む羅臼漁港を思い浮かべたりする。あるいは、歯舞諸島への国境の海を、ロシア軍警備艇が、不穏に動き回る根室海峡を、思い浮かべることもできる。

いずれにせよ隣国が見えなければ国境のイメージはない。稚内の高台にある氷雪の門から遥かサハリンが見えるときには、ああ、ここは国境の海なのだなと実感することができる。でも、サハリンが見えないことのほうが多いここは、やはり国境と呼ぶには広漠とし過ぎている。

逆に、歯舞くらいの近距離となると、これは国境というよりも、難癖をつけられて強奪されてしまった元日本の島々であることが、明確に意識される。北方領土という意識でしか、歯舞の海を見ることができない。眼前で機関銃を積んで威嚇をかけるロシア船がゆっくり航行しており、時にはそれは根室の漁民を射撃することがある。拿捕などは日常茶飯のことである。

 石狩にある車検工場のロビーに置かれた雑誌は1年くらい前のものだった。このロビーの雑誌は3年前くらいのものなどもあり、少なくとも新刊は全然置いていないので、苦笑しながら、一番新しい部類のものを、私は手に取ったのだった。それでも一年前。古く、手垢に汚れた雑誌に掲載されているのが、即ち国境。国境、としての対馬の写真は、実は初めて眼にするものであり、意外であった。国境の向う、日本海の向うに朝鮮半島が浮かんでおり、そこ行き来する車が、晴れた日には肉眼で見えたりもするのだそうである。

 その雑誌で少なからず好奇心を擽られてから、奇しくも一週間後、わが愛用の石狩図書館に予約していた本書が入庫する。『国境事変』というタイトルからだけは本書の内容が、対馬を舞台にしたものであるとは当然予測もしていなかった。だからこそ、いきなり対馬の海辺で始まる本書のプロローグに、天啓とでも言うべきあの写真が、私の頭の中で重なり、何とも不思議な思いに、心がぐらりと揺すられるのだった。

 海辺には何者かが上陸した気配。おそらくは北朝鮮の工作員だろう。ちぎれたゴムボートの破片。そうしたプロローグに続いて、舞台は新宿に移る。ここからが、例によって誉田哲也の得意とする警察小説の世界である。

 誉田哲也が得意とするパターンは、二人の両極に立つ主人公による小説世界のコントラストである。女性刑事を主人公に据えることが多いのだが、本書では題材が硬派であるためか、二人の男性捜査官の対比で描いてゆく。一人はなんとあの『ジウ』シリーズの一徹刑事・東警部補であり、もう一人は本書の重たい部分を担う若手公安捜査官・川尻冬吾である。

 新宿警察署の現場刑事である東の健全ぶりは相変わらずだが、公安の川尻の方は、潜入捜査・囮捜査が多いことから、心の矛盾を抱えながら鬱屈した日々を送っている。もちろんそうしたイリーガルな捜査が水に合うという人間も仲間にはいるのだが、川尻はどこかで自分がこの世界にフィットしないでいることを感じている。

 そんな鬱屈とは対象にある、新宿署・東警部補との対比の中で、川尻の世界に蔓延するジレンマ、仲間たちとの違法捜査の舞台裏、意見の食い違い、等々、やや毒気が強すぎるくらいに、作者はダーティな描写を執拗に続けてゆく。東警部補の世界は『ジウ』の門倉美咲であり、川尻の世界がちょうど『ジウ』では修羅の役を果たすことになる伊崎基子のそれであろう。清と濁。清廉と隠微。光と影。

 そんな二つの世界の住人である男たちが、もう一つの影的存在である北朝鮮の工作員たちを追い詰めてゆく。プロローグで紹介された対馬勤務の捜査官は、まるでドクター・コトーのような穏やかな鄙びの土地に生きる健康優良児そのものだから、この作品では、都会と離島という対比もよく効いている。

 誉田哲也というエンターテインメント作家の、さらなる熟達を感じさせる刑事アクション。本書は、そのまた新たな局面と言っていいだろう。この程度の作品なら、いくらでも書いてしまいそう作家である。であるからこそ、むしろ、もっと重たい素材に挑戦すべき頃合であるのかもしれない。

(2008/02/24)
最終更新:2008年03月21日 00:22