沖縄を撃つ!






題名:沖縄を撃つ!
作者:花村萬月
発行:集英社新書 2007.11.21 初版
価格:\720



 花村萬月の小説は全部読んでいるのだが、新書、エッセイの方はすべてと言うまでには読破していない。いわゆる気が向いた時に、読むことにしている。だけど何故『沖縄を撃つ!』を読んでいるのか自分ではわからない。

 一つには『たびを』からの触発なのだろうか。この人の書く旅情は、実に素晴らしいのだ。 あるいはそれ以前に、ずっと初期作品の頃から、バイクを駆って飛び出してゆく主人公の物語を多く読んでいたせいなのかもしれない。花村萬月という作家の具体像をほとんど知らなかった頃から、この人が知床やサロベツの辺境みたいなところに詳しいということは、同じように偏屈な旅行者であったぼくには、小説の行間に実に具体的に透けて見えるのだった。

 その後実際にお会いし話をさせて頂く機会があり、話題は本のことよりも本の向うにある北海道のツーリングのことや野宿のことの確認ばかりで、一体これが作家との会話だろうかと罪悪感すら感じてしまったことが、今でも印象的でならない。

 だからエッセイの中でも、旅行の本がぼくはとりわけ好きなのだ。だけど、なぜ沖縄なのだろうね。ぼくは行ったことすらないし、多分一生行くこともないんじゃないか。

 花村氏はオートバイに凝った時代には、何度も全国一周をしているみたいだし、北海道は広いから、とりわけ日数を費やし、何度も何度も来られている様子だ。しかし沖縄、となるとこれは過去の経験というよりも、作家になってからの取材旅行がメインであるようだ。取材という言葉は嫌いだ、と本書の中でも言うように、この作家の取材は、取材であって、取材ではない。意味が不明かもしれないが、いわゆる資料漁りではないということだ。この作家がこうした旅行で求めるものは、いわゆる小説の対象となる舞台に潜む空気の流れ、澱み、それらの醸し出す独特のテンポ、音、声であり、毒であるのだと思う。

 ぼくは旅先では、廃屋や廃村を見て歩くのが好きだけれど、それは自然そのものよりも、自然の中に開拓で放り込まれた人々の夢の跡を自分の足で踏んでみることにより、いろいろなことを感じ取ったり想像してみたりする自分の脳の中の反応が、ある意味とても意外性に満ちていて面白いからである。人間の原初的な能動や律動といったものが、勝手に内から噴き出すような感覚。ユング的記憶というと大それてしまうが、民族のDNAの中に記録されている血の泡立ちのようなものは、自分でさえ知らない自分の正体を、改めて発見する感覚にも似ていると思う。

 さて、そんな感覚優先主義者であれば、この本は充分に楽しめると思う。たとえ沖縄に何の興味が湧かなくたって、それは確かなことであると思う。むしろ沖縄に出かけるから事前資料として、なんて実用的な意味を期待して読み始めると、途中で放り出したくなるくらい、一般旅行者相手の情報性という意味では、基本事項に欠けているかもしれない。

 本書は観光ガイドではない。沖縄という土地を通じて、旅行のある種の形式を、何を見、何を感じ取るかを、知ることはできると思う。しかし、そこには、沖縄だけで括り切れない、人間学とでもいうべき、何か大それたものが潜んでいるような気がする。

 ちなみに『針(ニードルズ)』という作品の現状が本書で明らかにされている。あれほど作者の日記ページなどで語られていたこの未発表作品は、沖縄を舞台にして展開するものらしいのだが、現状出版事情・社会的事情・時間的事情など、もろもろの事情から、中断され、日の目を見る状態には置かれていないのだそうである。日本の最西端という辺りで、『私の庭』とは別の極限での日本人を描く作品として、ぼくとしては多分な期待をかけていただけに、けっこう痛い知らせである。

未完でもいいから世に出ないものか。未完で出るのは、作者が亡くなった時くらいか。それはそれで大いに困るのである。うーむ。

(2008/02/03)