ドリームガール





題名:ドリームガール
原題:Handred-Dollar Baby (2006)
作者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:加賀山卓朗
発行:早川書房 2007.12.15 初版
価格:\1,900


 エイプリルがスペンサーの世話になるのは三度目らしい。一度目は『儀式』で、二度目は『海馬を馴らす』で、スペンサーに世話をかけた。スペンサーは世話好きと言えば世話好きなので、その辺はあまり苦にならないのかもしれない。むしろほっておけないオヤジといったところなのかもしれない。

 『初秋』『晩秋』と少年ポールの世話をしたことは記憶に印象的であるのだが、一方で売春少女エイプリル・カイルの方はあまり印象に残っていない。『初秋』のインパクトが強すぎて、似たような設定の少女版として、ぼく自身では片付けてしまったのかもしれない。それ以上に『儀式』で、シリーズに飽きて一旦放り出してしまった読書経歴というものがぼくの中にあって、それがいつまでもどこかでもたれたままになってしまっているのかもしれない。

 そのエイプリル・カイルが三たび、スペンサーの事務所にやってくる。何で食べているのだかわからないのだが、スペンサーはまたも無償報酬の仕事に乗り出す。乗りかけた舟、というのがエイプリルとのつきあいであるのかもしれない。しかしその少女は大人になり、今では娼館を経営している。スペンサーですらすぐには誰とわからなかったくらいの変化が、エイプリルには見られるのである。

 『儀式』ではスペンサーとスーザンの関係がややこしくなっていた。それを『キャッツキルの鷲』まで引きずってゆく。シリーズ中唯一の二人の破綻であり危機であった時期である。それが『キャッツキル……』で修復される。修復後初の仕事が『海馬を馴らす』である。つまり、またもやエイプリルなのである。本書では、エイプリルの出現に対し、スーザンがいつものようにスペンサーと話を交わす。二人の過去に話は及ぶ。過去のあの頃の危機のことにも。

 情緒的なシリーズであると思う。べたべたで甘いロマンスを永遠に長引かせ、犬のパールを愛玩し(パールの初登場はちなみに『晩秋』である)、ホークと不思議な距離を置いた友情をこれまたべたべたに交わし、あらゆる人物とともにドーナツを沢山食べ、コーヒーに山盛りのシュガーを入れる。とにかく甘く、優しすぎるのがスペンサーである。なのに、何故にハードボイルドのシリーズなのであろうか。

 自分にも甘い。出来がよく、強く、タフで、臆することもなく、自分はプロなのだと臆面もなく自己賞賛を口にする。 小説のそれら感情的な部分は、すべてはセリフによる進行である。セリフ回しこそがパーカーという作家の小説作法の真髄なのである。気持ちの描写は他では決してしない。行動描写、そして会話、それだけでスペンサーの世界を構築し、事件を説明し、物語を折り畳んでゆくのである。見事に。これ以上ないほどの見事なラッピングによって。

 だから読者は心地よい。心に優しい読書時間である。癒しの時間だとさえ言える。小気味よい音楽のような行間。美しい風景と、美味しい料理。季節感溢れる街を行き来し、気持ちよく過ごそうと選択する探偵に同行して、読者は大変心地よく一緒に捜査を進めることができる。時には銃の入った抽斗を開いて危険な客と相対しなければならないが、それだけの俊敏さを持っている探偵なので、大抵の場合心配はしない。凄腕のホークがいれば、もっと大丈夫だ。

 読み終わると同時に、綺麗に片のついた事件と、ボストンの美しい季節とともに読者はページを閉じる。そんな何とも「快」だらけの小説なのである。長年の訳者・菊池光が亡くなり、新たに加賀山卓朗に変わっても、柔らか味が増したとは思うが、パーカーの流儀には、ほとんど影響が出なかった。相変わらず心地よいリラクシング効果をもたらす小説であり続ける。疲れた日曜日、よく晴れた日に、カウチに横になって、積雪の上に跳ねる光に時々眼をひそめながら読書をする数時間ということを考えると、これ以上ないほど相応しい作品であるように思う。

(2008/01/27)
最終更新:2008年01月28日 03:48