探偵、暁に走る





題名:探偵、暁に走る
作者:東 直己
発行:ハヤカワ・ミステリワールド 2007.11.15 初版
価格:\2,000




 『ライト・グッドバイ』で、もしかしこれにて、ほぼ終わっちまったのか、と思えたのが、本シリーズへの不安だった。三つのシリーズを交錯させて終焉を迎えさせた感のあるサイコ事件、そして道警腐敗神話。もうすべて終わっちまったんだな、という印象が。

 しかし畝原シリーズも本シリーズも、この2007年という同年に、新たな形で世に出してしまった東直己。かつての一作産むのに苦労していた時代とは違うのか。誰がどう見てもペースの速まっているように見える彼の創作態度に、著しい昨今の変化を感じないものはいないだろう。

 娯楽小説としての手抜きのあり方を覚えたというのもあるのかもしれない。手抜きというと語弊があるが、ある程度、別ジャンルの作品を書くことで、本命である本シリーズの方向性がより不動な何ものかに成熟しているという感覚はあるのかもしれない。

 本書では、すすきの便利屋の「俺」という、ある意味作者の等身大でありなおかつヒロイックな主人公に加え、世間へのご意見番とも言える、愛すべき友人が出現し、そして殺されてしまう。世の中の無軌道なるものに我慢ができず、つい差し出がましい口を開いてしまう計算の立てられない激感情オヤジである。

 便利屋「俺」の口数では足らなくなった作者の分身がもう一人現れて、世の中の人々への怒りを代弁しているかのように見えてくる。それが作品を書く動機であるとでもいうかのように、強烈な存在感を持って。

 しかし、素晴らしいのはそれだけではない。以上のことはあくまでプロローグ。事件が勃発した後の便利屋「俺」の執念がけっこう凄まじいのだ。そう言えば、かつて殺されオカマのために燃えたことがあった。この男は燃える原因が、凡百な捜査依頼や仕事顧客なんかではないのだ。あくまで自由人として、ススキノ漂泊人としての個人的な怒りこそがこの人の存在の真骨頂なのである。

 捜査の方法が凄い。ススキノは俺の街だ。だからススキノで何かを知ろうとすれば、それは俺ならば可能だ。そう言い切るこの男のプライドは、遊び人としてであれ、実に格好いい。

 作者が彼を格好よく見せるために装飾することは、彼の顔でもスタイルでもない。むしろそちらの方は全否定しており、彼を格好よく見せるために、作者は、彼をススキノ中で酒を呑ます。決まった銘柄の酒を飲ませ、決まった実に狭苦しいジャンルの音楽を聞かせ、携帯を持たせず、トイレはウォシュレット付きのものでなければならず、名刺の連絡先はバー・ケラーにして、その他、そこら辺のススキノ住人のなかでよく知られており、ススキノ中の情報を持って歩かせる。そうした属性の格好よさが、この主人公を作っているのだ。

 彼の自由人としての誇り、を改めて重点的に描きつくし、錯綜した犯罪の真実を追究する彼のやり方は、彼の特性を大いに利用したそれである。ススキノでは警察以上に解決の糸口を見つけやすい彼の情報網。ドラマ『探偵物語』で工藤俊作が、「俺の街」「この街の仲間たち」と言い、有象無象の個性的な情報屋たちに会いに出かける姿を懐かしく思う向きには、この探偵のススキノでの彷徨いっぷりは何とも味があるものだ。

 そんな探偵小説の骨髄を思い出したかのように示し、最近の本シリーズとしてはとりわけ復活したという印象を強く匂わせてくれる最新作であった。探偵も作者もどことなく頼もしい。二人のこれからの活躍にもっとずっと期待を寄せ続けたいと思う。

(2008/01/20)
最終更新:2008年01月24日 21:29