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正当なる狂気





題名:正当なる狂気
原題:The Right Madness (2005)
作者:ジェイムズ・クラムリー James Crumley
訳者:小鷹信光
発行:早川書房 2007.11.15 初版
価格:\2,000



 C・W・シュグルーも、元相棒のミロ・ミロドラゴビッチや、本シリーズの作者ジェイムズ・クラムリーご同様、大変歳をとってしまっていた。大きな事件を扱うような探偵仕事からは足を洗って、引退という二文字を口にするざまは、『ファイナル・カントリー』のミロと同じようなもので、どちらもドランカーぶり、ドラッグ漬けぶりは、相変わらずだ。

 どちらも少しずつ作者の分身であるのだろう。立派な探偵といった印象は二人ともになく、ただひたすらに闘ってゆこうという姿勢と、それを守るためにいろいろな弱さを曝け出し、嘘をつけないゆえの衝突や気苦労を背負っているところが、切なく、かつスリリングである。

 事件そのものを解決に導く手腕はプロフェッショナルとして大変なものなのだが、その中で自滅性向を持つ彼らは、常に自らトラブルを招くことも少なくなく、大抵の場合、結果的に、きな臭い銃口や、きらめくナイフ、タフな大男のパンチといったものに狙われてしまう。

 本書では、シュグルーは親友である精神科医マックの強引な依頼をやむなく受け、本来得意としている人捜しではなく、特定の患者リストからデータ泥棒を割り出すという苦手な部類の調査を請け負うことになる。最初から乗り気でない上に、不得手な仕事ということで、その捜査のホンキートンク(音外れピアノ)ぶりが目立つ。

 何しろ、行く先々で、死体に出くわす。それもハードボイルド探偵がよく出くわすありきたりな死に貌ではなく、むしろトマス・ハリスやパトリシア・コーンウェルの得意としそうなサイコ色の強い凄惨な死に様にばかりだ。この辺りで、クラムリーは一体何を始めるつもりなんだろうとの疑念に捉えられるのは私ばかりではあるまい。

 依頼人が精神科医、その患者リストをベースにした調査、犠牲者たちの異常で残酷過ぎる死に様……そのいずれもが、いわゆるモンタナを軸にして郷愁溢れる田舎町ハードボイルドといったこれまでのクラムリー節には最も似つかわしくないものに思えるのだ。しかもそれを一番自覚しているのが主役のシュグルーであるあたりが二重におかしい。

 そんな不思議なオフビートを刻みながらも、クラムリーの文章(そして小鷹信光による日本語訳のセンス)は、地に堕ちるどころか、濃密でメタファーと予言に満ちており、あまりにも素敵だ。シュグルーの毒舌は下品で汚く、その生活ぶりの破天荒さそのものを現わしているのだが、女たちに持てるじいさまの秘訣は、シュグルーの持つ弱さであり、それは同時にクラムリーの文章を輝かせているその丹念で繊細な完全さに繋がるように思われる。

 本編ではミロが、中米に移住し引退生活をしていることがほのめかされている。またクラムリーにしては珍しく、前書きを書いており、それは、自分の大病のこと、そこから甦って本をまた書くことができたことに関する周囲の人々への多くの謝辞で満ちている。シュグルーは、幸せな結婚生活のやり場に困っており、人との距離の在り方を巧く保てないでいる。

 こうしてみると、シュグルーが一番元気か。喧嘩もまだ若いものには負けないし、銃の早撃ちでもまだまだ行けそうである。始終酔っ払ってはいるけれども、二種類のサンドバッグを部屋に吊るしており、時にそいつを叩いて汗を流しているようでもある。探偵の誰かが独りでも元気でいる限り……いやミロだって始終引退を呟きながら、現場復帰するのを得意としているじゃないか……、クラムリーは大病の地獄を糧にさらに彼らの物語を綴ってくれるのではないだろうか。

 いつも思うが、彼の小説は書くために必要とされるパワーが並大抵ではないだろう。他の作家にはないくらいの文章へのこだわりぶりを常に発揮し、その仕事の丹念さにいつも圧倒される。ぼくの知る限り最高の小説書きだ。現代のヘミングウェイ。簡単に滅び去るわけがないじゃないか。

(2008/01/06)