群狼の舞 満州国演義 III





題名:群狼の舞 満州国演義 III
作者:船戸与一
発行:新潮社 2007.04.20 初版
価格:\1,800




 前作、上海事変を受けて、ラスト・エンペラー溥儀の擁立と傀儡化、満州国建設と国際連盟脱退、熱河侵攻までを描く本シリーズ第三弾である。

 時代が早足で駈けて行く足音を、スーパー・ウーハーの低音で響かせる船戸の文章リズムは、相変わらず圧巻だ。それは時には遠い砲声であり、時には地吹雪の吼え声であり、時には馬群が蹄を踏み鳴らす音である。

 そんな抗いようのない時代の重低音の上で、敷島四兄弟は、懊悩し、彷徨い、闘い、足掻いてゆく。それぞれの運命が均一でないばかりか、運命により変調してゆくところこそ、船戸の叙事詩作家たる所以である。

 前作では試練を受けての変貌が目立ったのは馬賊の次郎だったが、本書で最も変節を遂げることになるのは、長男の外交官僚・太郎である。意外な展開は常に満州荒野に待ち受けている。

 侵略が血と暴力であると同時に、強引で横暴な経済活動でもあることを、この小説は訥訥と語ってゆく。隣人、ジャーナリスト、同僚、そして工作員たちの口と耳を通して。四兄弟自らのめまぐるしい動きを通して。

 謀略に満ちた世界が生んできたのは、闇を蠢く工作員たちの影。彼らこそが四兄弟の手綱を握り、引き回してゆく。彼らはまるで、見えざる国家意志の代弁者のようでもあり、運命という名の死神による遣い手であるようにも見える。まるで歴史という四輪馬車の御者たちだ。

 昭和7年からほぼ一年間を季節の変遷を通して描き切る。ドイツではヒットラーが台頭を始め、中国とロシアでは毛沢東とスターリンの血の粛清が続いている。阿片を通商の目玉として使わざるを得ない列強の経済戦争も続いている。補給線が十分でないままに侵攻を進めることで、軍隊は現地調達の気を強める。掠奪と強姦。満人犠牲者たちの屍が残る。

 ソ満国境では、抗日運動の旗手・馬占山が黒龍川(アムール川)の彼我を渉る。日本から移住させられた農民たちは武器を持たされ、ソ連の防波堤となる。維新期屯田兵の歴史の反復だ。氷点下の塒で震える兵士たちと、白系ロシア人女たちを芸者のように侍らせて酒宴を繰り広げる将校たち。

 怒りが渦巻く。不平が爆発する。銃口が火を噴き、黄砂が夥しい血を吸い続ける。屍臭を搬ぶ雪風のなかで、国際世論から孤立した軍靴が破滅への響きを連ねてゆく。

 どんな教科書も、どんな教育も決して教えてくれることのなかった満州国の暗い緞帳を、船戸のペンは容赦なく切り裂き続けている。

(2007/12/30)
最終更新:2007年12月31日 00:42