借金取りの王子





題名:借金取りの王子
作者:垣根涼介
発行:新潮社 2007.09.20 初版
価格:\1,500




 『君たちに明日はない』の感想でほぼ書き切ってしまったのだが、二年後になって、その続編として本書が発売された。前作は、なんと山本周五郎賞を受賞してしまっているのだが、もちろん本書も同じレベル、同じ空気、同じ筆圧で書かれた一冊である。

 というよりもむしろ、リストラ請負という稼業に徹するプロフェッショナルな主人公という設定だけで、よくぞ書き続けているものだと思う。

 二冊とも、連作短編集である。雑誌「新潮」では個々に読み切り作品として隔月連載されてきたようだ。だから、いつもリストラの対象法人も違えば、リストラの理由やリストラ対象者たちも違う。しかし、どの作品でも退職希望を募るという主人公・村上真介の側と対照的な立場として、独りのゲスト主人公が登場する。

 彼、または彼女たちは、必ずしもリストラを会社が希望している人間ばかりではない。時には、部署全員と面談をして希望退職者を募らねばならないために、企業側としては本意ではない彼、または彼女への面談も決行しなければならない。しかし、いずれにせよ、勤めてきた会社の中で、いきなり早期退職の選択肢を提示させらた場合、彼、または彼女たちは、その局面での自己分析を試みることになる。この作品集で取り上げられる数々のドラマは、そうした様々な人間の抱え込んだ個の問題に光を当て、読者の側にある普遍的なテーマを突きつけてくる種類のものなのである。

 退職、または転職の可能性を示唆されたときに、安定していたかに見える生活基盤がぐらりと揺らぐ。仕事のために毎日をあくせくしてきた身にとってその仕事がなくなる可能性を示唆された場合、依存してきた時間や場所が失われる不安定な現実に、生きているその事実の断面を見せられたような気分になる。

 堅固なものと思われていた日常が脆くも崩壊しようというところのドラマを捉えたのが本作品集の眼のつけどころなのである。読者の側も、こういう小説に出くわすことで、己の日常を振り返らざるを得なくなる。私を含め、転職経験のある者であればなおのこと、他人事とは言い切れない何かを見出す。

 南米に材を取ったもともとが非日常を描くことの多い冒険作家である垣根涼介が、なぜここにきてあまりにも身近な日本の企業小説といっていいような作品に取り組んだのか、そのきっかけのイメージは掴みにくい。でも小説が日常から非日常的なるものへすっとスライドしてしまう瞬間を捉えるものであるのならば、この題材はある意味着想としての成功であったのかもしれない。

 逆にこうした身近な小説を通して、垣根涼介の世界に触れていただき、ついには「ワイルド・ソウル」「ヒート・アイランド」といった彼の真骨頂エンターテインメントへ辿り着いてもらうのもいいのかな。この作者の引き出しの多さには、正直誰もが途惑うと思うけれども。

(2007/12/30)
最終更新:2007年12月31日 00:22