ダン・カーニー探偵事務所



題名:ダン・カーニー探偵事務所
原題:The Mayfield Case and 10 Other stories (1967-1984)
作者:ジョー・ゴアズ Joa Gores
訳者:石田善彦
発行:新潮文庫 1990.06.25 初版
価格:\480

 もはや、この一冊もハードボイルドの古典と呼ぶべきなのだろうか。ハメット風に感情描写抜きの簡潔なタッチ。タフな男たちとタフな仕事。余計な理屈抜きに生きてゆくことの重たさと、過酷さを日々繰り返してゆくだけの物語。

 元来、仕事場の風景というのは、あまり小説という娯楽に適していないように思える。

「私立探偵が丸一日ひとつの事件に関わっていられるのは探偵小説のなかだけである」(「フル・ムーン・マッドネス」より)

 二十四時間以内の初動報告と三日ごとの最新報告書の提出が義務付けられている捜査員は、同時に何十という事件の未処理事項を抱え込んでおり、そのどれもに時限指定が付せられており、時には秒単位でのぎりぎりの処理が必要とされる。

 警察や銀行と調査所との関係や、他の調査所との合同捜査、調査所擁する美しき事務レディたち機敏さを抜きには、彼ら調査員たちの仕事は成り立たない

 そんな仕事場の修羅場を書き綴ることで、他の探偵小説が夢物語に思えてくるところが、十年以上もこの仕事に携わったことのあるゴアズのスーパー・リアリズム探偵小説の真髄だろう。スペンサーやフィリップ・マーローがどうして飯を食ってゆけるのかが不思議になるほど、優雅さとは無縁な、地べたを這いずり回るような調査員たちの苦悶となけなしの誇りとが、際立っている。

 中でも、ハメットのコンチネンタル・オプと、時代を隔てて無理矢理、ダン・カーニーその人を関わらせてしまった力技「影を探せ」はゴアズの解説付きで、非常に遊び心のあるハードボイルド・カルトと言える。リチャード・スタークの悪党パーカー・シリーズとも小説間交流をやらかしたことのあるお茶目なサービス精神がこんなところにも表れており、読者としてはなんとも粋で有難い。  今年久々にゴアズの自伝的長編『路上の事件』が翻訳出版され、中でも後半の探偵部分がとりわけ印象深く、内容も濃い。DKAと同じく、世知に長けたボス-若き調査員の現場経験といった構図が垣間見られている辺り、どことなく懐かしかった。かつてある時代にDKAのファイルという形でアメリカンな探偵事務所の現実的な素描がこうして多く作られてきたのが(今も続編の翻訳が待たれている)、ゴアズこだわりの本シリーズなのである。

 私自身、未読の長編をまだ残す身ながら、唯一のシリーズ短篇集として本書の類い稀な密度と独自性をこそ、存分に愉しませてもらった。作中では携帯電話もワープロもまだ登場していない。公衆電話に投げ込まれるコインの音や、タイプライターが、音高く探偵たちの世界に響き渡っている。

 しかし古臭い物語だとは少しも思わない。今も、その価値に一寸の錆びつきも見られない輝ける一冊であることに間違いない。

(2007/12/15)
最終更新:2007年12月15日 22:33