ブラッククロス





題名:ブラッククロス
原題:Black Cross (1995)
作者:Greg Iles
訳者:中津悠
発行:講談社文庫 1998.1.15 初版
価格:各\838

 『神の狩人』に魅惑され、ぼくは当然『このミス』投票でも1位をさしあげたアイルズであるが、この作品は本格冒険小説と聞いて当初面食らっていたのである。確かにトマス・ハリスは『羊たちの沈黙』を書くより遥か前に『ブラック・サンデー』を書いている。でも多くの作家にそんなことはできない。ほとんどの作家にトマス・ハリスの真似ごとなどできはしない。だからトマス・ハリスは10年(もっとだけど)に3作でも許されるのだ。そう思っていた。しかしアイルズは7年で4作目が刊行される。しかもこれまでの3作はすべてがハイグレードなのである。やはりこの作家は天才。

 『ブラッククロス』みたいに面白すぎる冒険小説を読むと、実は感想がとても書きにくい。内容がぎゅう詰まりだし、書かれていることの多さだけでも目が眩んでしまい、どこの何について言及して人に紹介してあげていいのかが、大変に絞りにくいのだ。なのでこの本を読んだのは6ヶ月前。やっと思い腰を上げて感想を書きます。

 新作『甦る帝国』の感想でも書いたように、この作家、キャラクター描写が図抜けている! という点だけを強調しておきたい。もちろん、ぼくは『ブラッククロス』の状況、冒険そのものも好きだし、ストーリーは息つくひまもないほどスリリングで、本を置くことがなかなかできない。生きざまも死にざまも並み大抵ではないし、多くの人びとがとても異常な環境下でとても異常な選択を強いられている。緊迫感は最大である。

 『神の狩人』では悪の側の描写に凄味を感じたのだが、本書も同様である。本書はナチスという今に始まったものではない悪が相手ではあるけれど、とりわけサリンを製造する工場を舞台にしており、そこで跋扈する悪はナチスという一筋縄だけでは括れない異常な悪である。この悪の強烈さこそがアイルズのもう一つの武器であり、独自性であると思う。

 パワフルで強靭な悪であればあるほど、我らがヒーローたちの戦いの切れ味が増すのである。処女作『甦る帝国』に比べると、かなり大筋のまとまった作品であり、ストレートな襲撃破壊小説として、一本の野太い主筋が見えている。暗い背景ではあるけれど、それらを破壊する過程の苦しみが大きければ大きいほど、カタルシスもそれに見合ったものなのだ。何度も言うがアイルズはテンターテインメントの天才なのである。

(1999.08.29)
最終更新:2007年12月09日 01:29