ダイイング・アイ





題名:ダイイング・アイ
作者:東野圭吾
発行:光文社 2007.11.25 初版
価格:\1,600




 1998年から99年に雑誌連載されていた長編をこれまで発表せずにいた理由が何であったのかぼくは知らない。作者にとってこの作品がどうであったのかもわからない。とにかくいずれにせよ、何年もの時を経てハードカバーとなり、出版される本、ということでそれなりの興味を持ち読み始める。

 さすがに作者が十歳近い年齢差を経ての、今の作品とその頃の作品の差というものは少なからず感じる。技術的なものよりも、書こうとする題材の変化の方がむしろそれは大きいように思われる。

 ぼくはこの作者の古い読者ではない。『天空の蜂』『白夜行』といった有名どころはそのときどきに抑えてきたものの、推理小説ということにさほど興味を持たないぼくは、謎そのもので読者を惹きつける作品とは少し距離を置いていた。

 最近、この作者の作品を読んでいるのは、謎そのものよりも、書かれている題材、人間そのものへの興味といった方向性にこそ賛意を表しているからである。ときには感動し、ときには集中できる作家であるからだ。

 もちろんこの9年前の作品にしたって、人間というものの持つ謎に迫る、という部分では現在の作品への共通項を持つものであり、東野圭吾ならではの作品であると思う。

 この作品で描かれているのは、死んでゆく者の怨念を受け止めてしまった加害者の側が堕ちてゆく闇である。加害者の側の心が砕けてゆく物語だ。

 死んでゆく者の怨念が乗り移る、という表現となれば、それはホラーになるのだろうが、死んでゆく者の怨念に苦しむという表現にすれば、それはシェイクスピアになる。東野圭吾は後者を描く作家であり、それはもはやミステリではなく、ドラマである。

 本書はその意味で、芯にあるものはドラマである。しかし東野式、とでも言おうか、小説技術としては、謎解きにホラー味までも加えて調味してある。その部分のおどろおどろしさが、少し東野らしくない、あるいは現在の東野ならこうはしなかったのではないかと思えるような、古びた印象がある。こちらの陰影の深さを好む人もいようと思う。

 ちょうど明るいシリーズ・ミステリーである『探偵ガリレオ』の執筆時期に重なるのだが、「転写(うつ)る」という作品が、この長編に共通する味を出している。デスマスクを題材にした物語で、死者の怨念が移るというような受け止める側の恐怖を描いたものでもあり、そのあたりが本長編の着想のきっかけになっているのかと思えないこともない。

 全体としてよくまとまった少し怖い長編であるのだが、ぼくが東野作品に求める傾向のものとは少し違った。異色作と言った方がよさそうな暗さは、まったりした主人公がもたらすところも大きい。登場人物の誰も彼もがどこか共感しづらい点も重たい。少し面食らった思いの作品である。

(2007/12/02)
最終更新:2007年12月02日 21:52