武士道シックスティーン





題名:武士道シックスティーン
作者:誉田哲也
発行:文芸春秋 2007.07.25 初版
価格:\1,476




 ミステリー畑と思われる作家が、ジャンル外作品に挑むことは、最近では全然珍しくない。でも、なぜ、よりによって、16歳の女子高校生を主人公にした、剣道スポコン青春小説なの? とあまりにもその距離の遠さに眼が眩んでくる。

 著者、初の、人間が一人も死なない作品なんだそうだ。そう言えば、この人の作品と言えば、グロが少し鼻につくくらい過激な殺人シーンが多い。

 でも、よく考えてみたら、ほとんどの作品の主人公が若く美しい女性なのである。しかも、何故か二人の女性を対比させることが多い。特に、ジウ三部作では、過激な暴力に走る暴走娘と、あまりにも人のいい庶民的なギャル、といった二人の若い女性が対照的な刑事として印象的である。

 一方で過激、一方で頼りないくらい平凡で笑えるヒロインというコントラストは、もはや作者の独壇場なのだ。そういう味をそのままに、殺人現場から舞台を高校剣道部に移したら、こうなるのだよ、と改めて作者がただのバイオレンス志向ではないことを証明してみせたのがこの作品なのかもしれない。

 思えば『月光』という作品は、学園の音楽教室を舞台にしたシックでリリカルなミステリーだった。こういうしっとりと美しい作品も書けるんだと証明してくれるような作品でもあった。

 ならば、なぜ今さらなのかはわからないのだが、スポーツ根性ものではどうかといった部分、しかもただのスポーツではなく、とてもマイナーで古風でお洒落からは縁遠いように思える剣道である。いきなり宮本武蔵に憧れ「五輪の書」ばかりを読んでいるガチンコ娘の自信漲る姿で幕を開ける。

 この娘はいわゆる暴力衝動を剣道に置き換えていろいろなことを勘違いしている傾向にあるようだ。そしてコントラストとして対照的なスタンスで現れる少女が、その信念を根底から揺るがすことになる。何となく勝ってしまったりすることもあるもう一人の少女の方は、日本舞踊から剣道に切り替えて、剣道そのものの空気が、間合いが、美しさが、ただ純粋に好きだという。

 笑える暴力娘と、空気のようにいなす娘とのデコボコ・コンビの物語が、ただ剣道という大半の読者には興味を持たれないであろう分野で展開する、と書いたところで、この本の面白さは半分も伝わらないだろうな。

 なぜ人生の半分を折り返してからこんな16歳の小娘たちの離合集散のドラマに一喜一憂してしまうのかは自分でもわからないのだが、それが小説の力なのかもしれない。二つの対極が出会い、葛藤が生まれ、そして両者が乗り越えて変わってゆく。いわゆる小説の基本を抑えているから、読者を夢中にさせるのである。

 題材は、犯罪の謎解きでもなく、恐怖でも謀略でも戦争でもない。しかし、これは人間の心の謎解きであり、孤独への恐れであり、家族との距離感を図るデリケートな十代の心であり、出会う大人たちからの意味深い言葉であり、何よりも自分との鮮烈な闘いでもあるはず。十代の少女だって、ろいろなことに出会い悩み挑戦しているのだ。

 だからこの物語を作るのは二人の少女だけではない。少女を取り巻く剣道部の仲間たちも、家族たちも、多くの人生が活き活きと書かれているから、小説世界に命が見えるのだ。青春という光にも影にもなり得る危うい時間が、こちらの心の中で再生されもするのだ。

 剣道の何も知らないぼくでも、女子高生とは最も遠い地平に立っているであろうぼくであっても、この小説に夢中になって泣いてしまうくらい。そんな風に料理してくれるのが上手な作家の技、ということなのではないか。

(2007/11/21)
最終更新:2007年11月21日 23:53