ドロップス





題名:ドロップス
作者:永井するみ
発行:講談社 2007.07.25 初版
価格:\1,500




 やはりこの作家は、短編作家ではないのかな、と思う。もともと『枯れ蔵』で農業ミステリなんて分野が始まるのかとデビュー当時騒がれた作家。その後、ミステリ作家として秋田白神山地を材に取った『樹縛』、札幌の北のはずれの『防風林』と、なかなかに渋く、そして非都会的なミステリ新感覚により、どんどん小説の腕が上がってゆく印象があった。

 自然のことなのだろうが、いつの間にか、女性作家ならではの、女性らしさを作品の中でアピールするようになり、そうした流れミステリとは別のところで永井するみのもう一つの作風として世の中に定着を始める。ここ数年は、とりわけその傾向のジャンル開拓を意識している気配が作品造りの中に顕著になり、いい意味でミステリ・ジャンルからの脱却が目立ってきている。

 本書は連作短編集である。そもそも連作短編集というジャンルは、海外ではシリーズものの一環として捉えられ、主体は一つの独立した短編という意味合いが強いのに比して、国内では短編が纏まった時に、それ自体一つの長編作品としても完成してしまうといった傾向が強い。海外では、どこから読んでもいいが、国内では時間軸に沿って読むことにより、一つの長編の一部として機能してゆくケースが多い、ということである。

 もちろんすべてがそうなのではなく、そういう意図を持って書かれるものがままある、ということである。本書は、そういう意図を持って書かれた連作短編集なので、全体で言えば長編小説のようである。短編として機能していないことはないが、独立した短編として個々の作品を切り分けてしまうと、価値が落ちてしまう、という意味においても。

 主人公は短編によりローテーションされるのだが、全体が向かっている方角は、新大久保の外国人居住区から一歩裏に入ったところにある昔ながらの閑静な住宅街、そこに自宅を音楽ホールに改装したスタジオ・ピチカートに集約される。

 すべてがこのホールを取り巻く人間模様であり、ラストシーンはここでの音楽コンサートというクライマックスに昇華される。やはり、最後に振り返ってみれば、一つ一つの章立ては短編の体をなしているものの、一つのクライマックスに向かって失踪する長編小説だ。それも群像小説といおうか、それぞれの短編の主人公たちが、それぞれの人生のドラマを抱えていて、それらがそれぞれに関わり合い協奏曲を奏でてゆく。独立した短編を関わらせ合うことによって、器楽のコンチェルトを完成させてゆくオーケストラの編成にも似た作品集、と言おうか。

 一つ一つの作品は、夫婦、友人、親子といったそれぞれの人間たちの関わり方に材を置く、ごくごく平凡なものに過ぎないが、濾過されたTVドラマのように美しさが際立つのは、小道具、舞台装置の壮麗さ、何気ないお洒落感覚である。舐めてゆくうちに色が変わる美しいドロップス。光の加減、季節の加減で色の変わるホールのステンドグラス。匂いが幻想を呼ぶフルーツ消しゴム。音楽コンサートのパンフレット。貝殻づくりのボタン。古びたカフェ。手作りの洋菓子。ブランディを垂らした紅茶。そうした女性ならではの小道具が実にうまく配置され、そして印象深い。

 この無理のない配置と、人間同士の静かな葛藤、爆発と静謐。倉本聰あたりの脚本ドラマを見ているような現代性とリリシズムを感じさせる一方で、女性らしく優しさに溢れた物語。洗練された都会の物語でありながら、この作家の持つ独特な魅力が匂い立つ、とても柔らかなタッチの癒しの一冊。『年に一度、の二人』の姉妹編のような作品集である。

(2007/11/04)