路上の事件




題名:路上の事件
原題:Cases (1999)
作者:ジョー・ゴアズ Joa Gores
訳者:坂本憲一
発行:扶桑社ミステリー 2007.07.30 初版
価格:\1,000



 ジョー・ゴアズの本が翻訳されて販売されるというだけで、ビッグ・ニュースである。ハードボイルドの直系と言われる人は多いが、この作家くらいになると、ハードボイルドの系譜を継ぐ人というイメージよりも、むしろ古典と言った方がお似合いである。

 ぼくがジョー・ゴアズに夢中になったのは、三十歳前後、仕事でも道楽でも、まだまだ血気盛んで、なおかつそれに体力が着いていけたという時代だ。同じ年頃の主人公たちが、多くは探偵という職業によって、普通の人々の目の届かない世界で、まさに意地のために死闘を繰り広げてゆく物語は、正直国産ハードボイルドの比ではなく、リアリズムと鋭さに満ちていた。

 現代の死闘小説は、主にベトナム帰りであったり、スパイ組織上がりであったりする者たちによる、かなり直截なものが多く、それはそれでまたよろしいのではあるが、ゴアズの死闘はあくまで穢れた街に展開するハードボイルドなのであった。死闘は死闘でも、敵味方入り組んだ都会という複雑なジャングルの中を生き延びるために、知恵と度胸を凌ぎ合うゲームであるかに見えた。もちろん、そのゲームをより魅力的にするために、ゴアズという作家は心理描写ではなく、主人公に行動を起こさせた。

 物語りも描写もまさに正統派ハードボイルドの流れ。だからこそゴアズであった。『マンハンター』『裏切りの朝』は、当時のぼくには、小鷹信光の秀逸な訳文も含めてバイブルのような作品であった。

 本書はその頃のゴアズを現代に甦らせたかのような逸品である。翻訳も『イエロードッグ・ブルース』などでお馴染みのこれまた正統派ハードボイルド作家ウォルター・モズリーの翻訳者として知られる坂本憲一。文句なしの名書登場である。

 旅に出る青年ダンクが次々と出くわす事件の数々。すべてがゴアズの青年期の追想のように語られる中、時代考証を重ねた1950年代のこの物語は、ゴアズの青春記に落ち着くことなく、フィクションとしてミステリとして、読みごたえ溢れる傑作である。

 貨物列車で無賃乗車する青年は、その夜のうちに警察に捕らえられ、収監されるが、仲間たちと集団で所長を殺害し、メキシコ国境へ向かう。そこで一文無しになったダンクは、ラスベガスで八百長ボクシングにまつわる事件に巻き込まれるが、カリフォルニアに逃亡。メキシコからの密入国組織や怪しげな宗教集団を探りある事件を解明することにより、サンフランシスコの探偵事務所に雇用される。ここで、旅の途中に出会ったもろもろの輩たち、ラスベガス事件の真相、新しい事件を通じて、得たり失ったりするもの、あるいは人、により、徐々に変貌を遂げてゆく。

 ラストの一ページを閉じるときには、大河小説の最後に味わう、終わってしまったことへの切なさまで感じるほどに、ダンクという青年の旅、事件たちの錯綜に、目くるめく幾重もの想いを響き合わせてしまう。

 まるで連作短編集のように次々にダンクを取り巻く事件の数々。それこそが原題の"Cases"(事件たち)である。しかし一方で事件を求める傾向にあるダンクの好奇心の存在も見逃すことができない。ダンクは作家になることを夢見、ヘミングウェイの言葉から、多くの体験を求め、それをノートに綴ってゆく。想像型の作家ではなく、体験から物語を形づくってゆくヘミングウェイ・タイプの作家になろうとしているところが、この自伝的大作に取り組んでいるゴアズそのものの鏡のようでもある。

 その好奇心が作家になる前に、まず彼(ダンク=ゴアズ)を探偵事務所の椅子に座らせる。そこに至るまでの、これは波乱万丈の旅であり、命がけの大冒険記でもあるわけだ。随所に探偵小説としての楽しみがあり、ロード・ノベルとしての豊かな変化がある。多彩でさまざまな形を取る万華鏡のような事件たち。優れたマンハント能力を発揮するダンクの日々は、実にアメリカ小説らしく、50年代の歴史に、音楽に、文学に、そして風土の上に輝き、そして読者をどこまでも引っ張ってゆく。

 600ページ超の長編大作であることが少しも気にならない。このままシリーズ化したダンクのその後を読みたくなるところだが、それはもっとロング・シリーズらしく健全かつリアルな形で、DKAファイル・シリーズに引き継がれていると言うことができそうである。

(2007/10/14)
最終更新:2007年10月14日 23:02