名残り火 てのひらの闇 II




題名:名残り火 てのひらの闇 II
作者:藤原伊織
発行:文藝春秋 2007.09.30 初版
価格:\1,619





 講談社刊行の未完の絶筆『遊戯』が藤原伊織のラストだと思っていた。ところが命の灯火の消える間際まで推敲を続けていたという本書がまだ残されていた。推敲は8章までで終わってしまい、全38章のすべてには届かなかったけれど、雑誌連載を完了してなお即座には単行本化せず、推敲を続けてきた作者の態度に、生ということへの飽くなき闘いの姿勢が垣間見えていたように思われる。

 そこまで作品ということにこだわってきた作家による小説なのだ。逢坂剛が代理に推敲を完了させようと余計なこと(?)を考えたらしいが、逢坂剛も、残り原稿を読んで全く推敲の必要性を感じなかったというくらいだから、そもそも雑誌発表という形で読者の眼に提供する時点で、他の作家のよりつけない領域の完成度をもともともたらしていたのだろう。

 そういう作家による最も好きな作品が、実は『てのひらの闇』だったから、最後の完成遺稿がその続編であったと知って、正直涙が出そうなくらい嬉しかった。あの悪たれな主役が、また登場すると思うだけで、心浮き立つものがあった。そしてこの本に接し、大事に読もうと思いながらも、ぐいぐい引き込まれる事件の謎に、それ以上に主人公の生き様に、私の心は一気に持っていかれてしまったのである。

 組長の息子であり、若い頃には木刀を肩にバイクを飛ばし、暴れ放題だったという悪がきが、いっぱしの企業に収まり、居所を見つけた。その企業にくすぶる陰謀と闘った第一作『てのひらの闇』を受けて、独立した企画会社を営む堀江雅之が、かつての同僚の不審な死の真相を紐解いてゆくというのが、シリーズ第二段の本書である。

 堀江の設定がいい。暴力を業とする親の血を引いた彼は、どこかで血と暴力が体の奥底に染み付いている。日頃はデリカシーと洞察力と知性を持ち合わせているのに、ある沸点に達すると彼は粗暴な力を行使することを躊躇しない。そうした自己制御の埒外にある獣を内面に飼った存在という設定を、藤原伊織という、団塊世代の企業戦士を絵に描いたような経歴の人が、文学性を持って描くというところに、この作品の快挙がある。

 小説は、作家の翼であった。晩年は病によって羽をもぎとられ、病床に抑え付けられる身でありながら、彼の文章は、怒りの拳を振り上げ、風を切って走った。アスファルトのジャングルを転げ回り、アルコールで体を麻痺させ、記憶を失うほど酔っ払い、美しく若い女性との距離感を楽しんだ。

 そうした闊達の気分が伝染するほど、活写という言葉が似合う表現力を持った作家は、そうはいない。ミステリというジャンルを逸脱して、魅力的な人間を描き続けた。本書でも、多くの魅力的で自立して独自な哲学に生きるおとなの男と女たちが、活き活きと世界を呼吸している。もったいないほどのキャラクターが、たかが脇役で主人公の周りを歩き去ってゆく。

 作者はもっと多くの魅力的な人間どもを、小説という夢想であれとても現実的な形の上で、交錯させたかったのじゃないかと思う。この小説を読んで、それぞれのキャラクターへの想像を翔かせるたびに、実に、悔しいことに、そう思えてならない。

 彼の愛すべき作品群と、愛すべき人間たちよ、永遠なれ!

(2007/10/08)
最終更新:2007年10月08日 22:36