スターダスト


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原題:Stardust (1990)
著者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:菊池 光
発行:ハヤカワ文庫HM 1997.10.15 初刷
価格:\640

 スペンサーが教条的ではなくある意味でその心底の優しさから行動するとき、つまり左脳の理屈っぽい行動ではなく、衝動あるいは右脳での原初的直感で動くとき、ぼくはとりあえず手放しで賞賛したくなる。別にスペンサーに限ったことではないのだけれど、やはりスペンサーのようなクールな思想家が、唐突に不条理な感情に捉えられた時はその落差が人間的に感じられ、ぼくはとても嬉しい。

 『海馬を馴らす』において薄幸の売春婦ジンジャーの不幸を怒りに変えて背負った時がそうだった。本書ではウィルフレッド・ポメロイの生活に触れた時のスペンサーがそこである。荒野の中にぽつんとある救いようのない田舎町で三匹の犬と一緒に最低限の暮らしを送るポメロイという男は、おそらく『愛と名誉のために』の主人公に最も近い人間で、この小説では誠実でありながら虐げられた者である。スペンサーの彼への優しさとこだわりは、信条よりずっと底の方で響いているような気がする。

 こうした深みが覗ける作品はスペンサーのシリーズではそう多くないだけに貴重だ。

 一方でアクション・シーンはチョヨというメキシコ人ガンマンが初登場して請け負ってくれる。ストーリーはそれなりに入り組んでいるし、なかなか完成度の高い逸品であるようにぼくは感じている。

 文庫解説では映画に関わる仕掛けがどことどこにどうあったとか言うことで紙数を費やしているのだが、そうした作業をこうした作品に意味があるかのように費やそうと努力している解説者の姿勢については、ぼくにはとても驚異だ。えてしてシリーズものになると、そうした趣味に走る読者や批評家が頻出する。世界ではミーハーと言っており、ぼくは彼らを否定はしないし、それなりに楽しみもする。しかしデータに生きる生き方、ディテールへの極度なこだわり、文章の中の裏技の発見等々、そうした本への見方というのは、ぼくにはやはりどこまでも驚異でならない。少なくとも解説として相応しいかどうかについては、はなはだ疑問である。
最終更新:2006年11月25日 00:47