繋がれた明日





題名:繋がれた明日
作者:真保裕一
発行:朝日新聞社 2003.05.30 初版
価格:\1,700

 はっきり作風が変わったのだとわかる。かつての神保裕一はクライム・ノベルの書き手であったと思う。あくまでミステリーの範疇でとりわけ犯罪を物語の中心に置き、そしてカテゴリーはエンターテインメントだった。ここ二年ほど、つまり具体的には『黄金の島』を最後に、神保裕一はクライム・ノベルというところからは身を引いたと言っていい。

 いつまでも未練たらしく追いかけていても割りが合わない。そのことを確信させてくれるここのところの三作だ。具体的には『発火点』『誘拐の果実』そして本書『繋がれた明日』。どれも犯罪そのものの分析行為を通して、現代の青春の難しさ、生きにくさ、といったところを描き、何らかの道標を示すという説教臭い小説なのである。どれも悔恨に貫かれ、どれもある種の美談。本書だって感動的ですらある。ほろりとしたい向きにはお薦めの作品だ。

 しかしことクライム・ノベルの書き手である神保裕一を求めるぼくのような読者にとってはそれは肩すかし以外の何ものでもなかった。クライム作家であるエド・マクベインが、社会派小説の作家になるときにはエヴァン・ハンターと名を替えるように、神保裕一も異なるペンネームを使用すればいい。そうすると一時的に売れなくなるかもしれないが、それだって本来の実力みたいなものなので仕方ない。神保ブランドを使いながらの宗旨替えは、いろいろな意味で問題があり過ぎる。

 さてこの作品だが、とりわけ『発火点』とは向かい合った鏡面のような双子の作品である。『発火点』が父を殺された遺族が出所する犯人への気持ちをもてあまし青春を悩み抜くような小説であるとすれば、『繋がれた明日』は出所してきた後も殺人犯として家族を巻き込んで苦しまねばならない青春の悩み抜き小説である。どちらも言わば青春の悩み抜き小説であることには変わりがなく、どちらもそれだけと言ってしまえばそれだけだ。ストーリー展開の面白さなどはおよそ皆無だと言っていい。もちろんミステリーでは全然ない。

 青春の悩み抜き小説であるとか、涙をそそるヒューマンな物語であるというだけなら、まだいい。だがそれだけでは表現が足りない。どちらも主人公がとんでもないバカだというところがぼくの場合作品への反感に繋がってしまう。うじうじと悩み、小心で、糞真面目なくせに、ちょっとしたことで頑固になり、怒りに捕われて物に当たり、反抗的な言動をして、眼の前の問題から逃げ出してしまう。徹底的に弱い性格であり、身勝手極まりなく、幼い。

 囚人生活を終えて社会に出たときにまだ犯罪を犯したときの幼さのままだというような釈明がなされているが、それでも説得力に欠けていると思う。なぜこうも性格的に弱く、半端で、幼い主人公の心理状態を、感情移入すらできないまま読まねばならないのだろうか。思い切った展開もなく、徐々に自分の生き方を見つけてゆくという話。

 こんな物語だからこそ神保ブランドを捨てて、捨て身で勝負していただきたい。この本の買い手はこういう物語の読者ではない。まるで詐欺罪を告発しているみたいな言い方になってしまうが、日本の作家は自分の名前が売れるとそのブランドを平気で傷つけるようなことをする人が多いので、海外の別名義システムということまで考えていただきたいと、深刻に思う次第だ。

(2003.07.18)
最終更新:2007年09月30日 14:28