プレイメイツ


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原題:Playmates (1989)
著者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:菊池 光
発行:ハヤカワ文庫HM 1996.10.15 初刷
価格:\505

 アメリカの小説や作家って本当にどうしようもなくアメリカ的束縛から逃れることができないのだなって感じること、ありませんか? それは日頃ずっといろいろなメディアを通じて入ってくるアメリカ。一つにはその肉体性に囚われた人生上の価値観。一つには歴史的に消えることのない人種差別とそれへの反抗心の表明など。スペンサーはこれらアメリカ的なものを見事に体現している。

 スペンサー的世界におけるセックスやスポーツは、アメリカ的肉体性に傾斜した価値観とでも言うべきものの最たるところで、シリーズ中パーカーという作家にとってきっと欠かすことのできないものなのだろうと思う。

 スーザンとの見るからに面倒そうな付き合い方については十分にアメリカ的男女の関係なのだろうと思うし、彼らの年齢、職業環境におけるセックスの回数、コンスタントさなどには、多くの平均的日本人が呆れ尊敬されていらっしゃるのではないだろうか。少なくともぼくは驚いています。

 スペンサーはタフな商売ゆえに体を鍛えていると言うけれども、ぼくの目にはとてもそうは映らない。むしろ肉体至上主義みたいなメンタリティからのトレーニングであるように確信している。そうした宗教的な肉体至上主義の一つが、言葉ではなく肉体活動によって擬似父子関係を作り出した『初秋』という作品であったと思うし、スポーツ的な事件となると、極度にその内性にまで関ろうとするスペンサー(=パーカーの趣味も多分に)の姿が見えてくる。

 好きな野球とバスケット・ボールに関わる事件をこれにてきちんとスペンサーは請け負ったことになる。文盲でありながら大学進学しているこの作品でのスポーツ・ヒーローについては、本邦における学校に行かない女子大生アイドルなどの例もあるから、決してアメリカの恥として糾弾することはできないのだけれども、当の黒人バスケット・プレイヤーが抱えているヒーロー像、またそれを守ろうとして多くのことを犠牲にしている事実などは、ヒーロー像の具体的設定内容こそ違えスペンサーそのものの信条である。

 多くの権力者、人種差別者たちへの反骨をスペンサーはよく表現しているけれども、常にその背後にスペンサーの持つヒーロー像が透けて見えている分、表現された問題そのもののほうへの深刻さは、一方で薄らいで見える気がする。

 多くのアメリカ的神経質さ。カフェインを禁じ、揺るぎないヒーロー像を持ち続けるスペンサーという存在は、ヴェジタリアンであり性差別への抵抗を意識し続けてやまないスーザンともども、とてもアメリカ的な存在に思われる。ぼくにはときどきこのシリーズがミステリーではなく、宗教書のように見えてくることがある。それはそれで興味深く読める宗教書ではあるのだけれども。

 賭けが絡んでいるせいか、多くの教義が見えるせいか、それとも馬鹿で貧弱な悪党が舞台となる大学でのさばっているせいか、少しディック・フランシスの世界とダブってしまった。
最終更新:2006年11月25日 00:45