発火点





題名:発火点
作者:真保裕一
発行:講談社 2002.7.15 初版
価格:\1,900

 何故か真保裕一という作家の作品は、ぼくにとって好悪がはっきりしているところがある。『奪取』や『ホワイトアウト』など、娯楽性を追及した作品はドライに楽しめる部分があるのと、その道具立てや下準備にすごく感心したくなるところがあって、そういう部分でのプロ的な職人芸としての小説作りは大変に好きな部分である。

 一方で『奇跡の人』『密告』などのどちらかと言えば深刻で暗く、煮え切らない主人公が腹の中に、ほの熱い塊のようなものを抱えつつ、どろどろと悩む内面形のストーリーとなると、途端に投げ出したくなる。

 そもそもスーパーマンではなく小市民的な人間の造形に長けた作家だ。タフな悪党やでかい組織を相手に、いわゆるフツーのどこにでもいそうな人が大活躍したり意地を見せたりする作品を書かせると、これはもう天下一品である。だからこそそういう作家がそういう主人公の内面に向かうと、何だかいろいろなものが萎縮する方向に向かい出すイメージでいっぱいになるのだ、ぼくは。

 だからこの『発火点』のような作品はぼくは好きではない。文章力はついたし確かに巧い表現だなあと感心する部分はある。それでもこの主人公のように、青臭く、悩み、弱く、惚れた女性たちとしっかりとコミュニケーションも取れないでいる青年の日常を見ていると、その過去がいかに大層なものであろうと、ほとんど特殊な物語であるかのように思え、感情移入し難くなってくるのだ。

 父が昔ある男に殺された。その謎は何であれ、その思い出を葬るに葬りきれず自分ばかりが曲がって生きてきた。まっすぐに生きることができず、職を転々とし、人間同士のつながりを持ち切れず、ずれてきた。そういう主人公が、出所してきた父の親友兼殺人犯と再会する。女性たちと出会い、別れ、またいろいろなものに飢えてゆく。

 ある意味よくできた青春再生への物語のようであるが、いったいそんなものをぼくは読みたいだろうか、と疑問に思わせられる。作者の真面目さが負担になるようなところがいやなのは、真保という作家が違う種類の小説でぼくを楽しませてくれたからである。どうも苦手だ。美しく、巧いロマンではあると思うけれどもどうもぼくには……。

(2002.11.30)
最終更新:2007年09月30日 14:21