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P.I.P. プリズナー・イン・プノンペン





題名:P.I.P. プリズナー・イン・プノンペン
作者:沢井鯨
発行:小学館 2000.7.10 初版
価格:\1,200

 感動した。とんでもない新人作家の出現とその作品の独自なパワフルさに感激した。日本小説にもこんな世界があるのだ!

 アフター・ザ・キリング・フィールドとも言うべきポスト・ポルポトのカンボジア。『地球の歩き方』片手に国境を越えた青年の30歳前の大放浪。札幌での教職生活を捨て、日本を捨て、ふとしたきっかけで辿り着いたカンボジアは、ポルポト大虐殺の血生臭さがまだ残る、欲望と裏切りに満ち溢れた最低な国家だった。急転直下、最悪の罠にはめられた青年は出口なしの牢獄を如何に抜け出すのか?

 作者自らがカンボジアで6ヶ月の獄中生活を送ったという経歴の持ち主であるそうだ。札幌の教職生活にしても、異国での収監体験にしても、作者の特異かつリアルなキャリアこそが、この小説の下地になっていることは間違いない。だが、この作品はそんな作者のバックボーンよりもずっと、小説として大変な代物なのだ。

 凄まじいのは、なぜ主人公がはめられたのかを理解する上でのカンボジア事情に関連するディテールの数々。腐り切った治安。壊れた警察システム。ポルポトの虐殺がこの国に残したトラウマが激しく青年を驚愕させる。

 貧しさによって失われてしまった人間性。地獄のような牢獄。懲罰用の独房のシーンでは思わず『暗闇にノーサイド』(矢作俊彦・司城志朗共著)の冒頭を克明に思い出してしまった。そして何度も出てくる『キリング・フィールド』の過酷。さらにポルポトの中国とのホロコースト的関わり方の下りは現代史小説としても十分な奥行きを持っている。

 カンボジアの歴史のなかで命が獣よりも遥かに軽んじられ、バイオレンスと恐怖に虐げられ、失われたものの重さ、大きさ。そして今も癒されていないこの国の救いなき病弊。これだけの悪魔的題材を扱いながら、この作品が素晴らしいのは、主人公の青年の根源的なタフさ、描写の明晰さ、そして何よりも捨てることのできない希望の耀きがそこかしこに見受けられるからだ。

 軽く引き攣った笑いのなかで語られる軽妙さに反して、現出する内容の残酷さ。作品を通して常に感じられるこのアンバランスこそがむしろリアリティを支えているかに見える。

 カンボジアの腐り切ったポリス、囚人、あるいは保身によって他人を見捨てることのできる日本人役人たちに囲まれつつも、あくまでも自分だけは騎士(サムライ?)であることをやめようとしない姿はまるでディック・フランシスの世界。スポーツマン・シップそのもの。ただでさえ鋭敏な嗅覚に悩み、閉所恐怖症で、デリケートな青年が味わう地獄の息苦しさ。そんな状況下で何という意地、意志、良心だろう!

 こんなにタフな状況小説はなかなか書けないと思う。こんなに優しくも潔い戦いのドラマはなかなか読めないとも思う。あまり味わうことのない種類の人間ドラマであることは間違いない。ラストも素晴らしい。モラルとかそうしたものを通り越えて、夢と生きざまを感じさせる。きっぱりとした選択肢に感動してしまうのだ。

(2000.07.04)