密室



題名:密室
原題:The Locked Room (1972)
著者:マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー Maj Sjowall and Per wahloo
訳者:高見浩
発行:角川文庫 1983.1.25 初版 1993.11.10 5刷
価格:\680(本体\660)

 訳者は解説で最高傑作みたいに書いているけど、ぼくはこの手の作品は駄目である。他のれっきとした社会派小説ならきちんとそれなりに読めるのかもしれないけれど、エンターテインメントという形で刑事たちの捜査や人情を主体に描いて来たシリーズが徐々に、社会思想小説みたいに理屈っぽくなってくると、売れることによって饒舌になって来た作家の、小説への不完全な姿勢みたいなものが逆に感じ取られるようになってしまうのだ。

 最初ベックが母を養老院に訪ねるシーンでは国家の社会福祉体制に対する説明が延々あるし、その後も警察の暴力的な実態など、この前作、前々作でも散々書かれたことの延長線上のスウェーデンという国家の強者・弱者のアンバランスさを、批判するのが小説の一義だ、という感じで読めてしまう。そしてそうなると、おろそかになるのは当然ストーリーの方であり、この小説はそういうマイナス要素を十分にこうむって、ずたずたになってしまったようなイメージさえぼくは持ってしまった。

 ストーリーは二本立て。ベックの精神的な密室を密室殺人に引っ掛けたあまりにも地味な殺人と、もう一本は派手な連続銀行強盗団を追いかけ回すコルベリ、ラーソン、ルンたちの道化ぶり。どちらも感情を掻き立てられるにはお粗末な事件だし、その始末の付け方となると、もう言い様がない。こんな小説、単品では通用しないとぼくは思うんだがなあ。シリーズもので前作の傷を引きずっているからこそ読めるのであって、この小説長い割に理屈だらけだぞっ、と。モジュラー小説の巧さということでは 87 分署の方が断然すぐれていると思う。

 また、小説の雰囲気ということでは、トマス・H・ クックのフランク・クレモンズ・シリーズの暗さを思い出させられたけど、あちらは大勢のアメリカ娯楽小説の例に漏れず、別に国家など批判していない。『熱い街で死んだ少女』ですら国家批判の小説ではないと思う。むしろ国家や警察の腐敗の中で抵抗する個人的良心の復権みたいなものが主題になっていた。

 無論この『密室』もベックの復権というラインで語ることもできるのだけど、結果的にとても受動的で偶然な復権であるし、むしろ作者による現体制への批判の方が小説の背景に留まっていない点の方が問題であるように思うのだ。小説家は決して論評してはいけないと思う。すべてを具体的に書くことによって現実をほのめかしてゆく技術の方を求めるからこそ社会思想書ではなく、小説を選び読んでいるのだから、ぼくらは。

 というわけでぼくにとってはシリーズ最悪の作品。

(1994.06.02)
最終更新:2007年09月25日 23:33