唾棄すべき男



題名:唾棄すべき男
原題:The Abominable Man (1970)
著者:マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー Maj Sjowall and Per wahloo
訳者:高見浩
発行:角川文庫 1982.11.30 初版 1993.11.10 2刷
価格:\560(本体\544)

 前作を継いで、またも犯人は社会悪の被害者。社会悪とは警察権力の中に潜む暴力的因子。この本に限っては、犯人捜査面での複雑さなどを排除して、もっぱら殺害された警官の「殺されるべき理由」を刑事たちは追っている。まあ、そういう作者の視点だ、と思った方がよさそうだ。

 最初から凄惨な殺人シーンが出てくるのだが、この殺し方が謎の一部を構成しているのだと思いきや、コルベリがしっかり解説してくれた戦場でのサディスティックな殺しと最後までこの殺害が直列に結びついてくれないのが、若干の不満と言えば不満だ。

 ラストに近づいての犯人の大掛かりな凶行シーンは、 まさにキューブリックの『フルメタル・ジャケット』を彷彿とさせる迫力。1、2作目では見られなかったように思う作者のリズミカルな筆力を、今回はとことん感じさせてくれていやに頼もしかった。

 この作品は、シリーズでも屈指の一気読み作品だと思うが、その理由は、作中における時間経過が最も短い作品であるからだと思う。真夜中に始まるほぼ一日のできごとで、その中でベックとルンは作品中ずっと睡魔や疲労に捉われっぱなし。この作品の緊迫感のみなぎり方は、87分署シリーズでの『死にざまを見ろ』と比較するとよくわかると思う。あちらではフランキー・ヘルナンデスというプエルトリコ系の刑事がその作品で篭城犯に射殺されるのだが、舞台はアメリカの巨大な都市であり、その緊迫感はまるで日常瑣末のできごとのように平板であった気がする。

 ラスト、ベックの選択といい、ラーソンが銃を構えなかったことといい、刑事が社会思想面でみな同じ方向を目指している気がする。その点やはり読者にとってはストレート過ぎて物足りない。ラーソンの態度は不自然極まりない。

 最後にハルトという初老の警官についてだが、これは日本のサラリーマン社会に似たものを感じ薄気味悪かった。警官を取ったら何も残らない。社会悪にあえて眼をつぶり、自分のたどった道を肯定するしか心の自衛策を持たないアンバランスな生涯。上司の責任を喜んで被って、仕事を取ると何も残らない日本のある年代のサラリーマンたちをぼくは思い出した。だから、このハルトが、最後まで何の落とし前も受けずに終わった中途半端さが、ぼくには非常に鬱陶しいのだ。それだけにリアルな処理であるのか……とも言えるのだったが。

(1994.05.28)
最終更新:2007年09月25日 23:31