笑う警官



題名:笑う警官
原題:The Laughing Policeman (1968)
著者:マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー Maj Sjowall and Per wahloo
訳者:高見浩
発行:角川文庫 1972.7.20 初版 1993.11.10 32刷
価格:\680(本体\660)

 この本の重版の歴史を見ても、発行年度の古さを見てもマルティン・ベック・シリーズ中、他に先がけて本書が出版されていることがよくわかるけれど、それだけこの作品が世界的なレヴェルの作品だったのだろう、と思いきや、英語に翻訳化された年にしっかりとMWA賞を受賞していたりする。北欧のミステリーが脚光を浴びたのは、ぼくはミステリー史に詳しいわけではないけれど、おそらくこれが初めてだろうし、世界的にもある意味でショッキングな一冊であったのではないだろうか。

 この作品の存在は、ぼくはもちろん『マシンガン・パニック』という警察映画で見ているのだけど、当時の警察映画はまたベトナム戦争の影をも色濃く落としていたせいだろうか、唯一覚えているのは退廃した西海岸の毒々しい繁華街風景とそこを歩きまわるウォルター・マッソーだった。そんな思い出とはまるで一線を画しているのだけど、ぼくのマルティン・ベックのイメージは、ウォルター・マッソーのままだったりする。

 さてこの作品の魅力は、有無を言わさずのっけから読者を掴んで離さないストーリーの魅力もさながら、やはり根底は 87 分署シリーズにも通じる刑事群像だろう。刑事群像を描くことのできる作家はきっちりと個性を書き分ける能力を要求されるわけで、これに成功している例というのは意外に少ない。

 一作目の『ロゼアンナ』では、ベックがあくまで単独主人公で、そのまわりをあまり個性的とも言い難い刑事たちが取り巻いているような感じだった。もしくは事件はドキュメンタルに捜査の模様だけが展開されていて、そこにベックの私生活風景が取り込まれてゆくという構成だった。しかしこの本では、もっと事件そのものを通して刑事たちの個性を光らせている。またそういう事件をよくもまあ持ってきたものだと思う。

 私生活と捜査との距離感の妙というのが、デビュー作に較べるとここのところけっこうしつこく描かれているのがいい。

 また、刑事捜査物の面白味というのは、各刑事が個性的な捜査方法で自己表現しながら事件そのものに多角的な光を当ててくれることだと思う。これが一人称私立探偵物だと、どうしても直線的に進む捜査という形になってしまい、この三人称の読者的危機感のようなものは生じにくい。そこが警察捜査物の魅力なのであり、この平行したいくつものドラマがないところに警察物の面白味はないのではないかと思う。だからそういう種類の事件が要求されるしこの作品はその望みをきっちりと満たしてくれている優れものだと思う。

 この辺り日本の作品にぼくが感じている物足りなさだと言っていい。警察物、三人称と言っても、まだまだ複数刑事の合同捜査物の傑作は少ないのではないだろうか。腐るほどあったTVの刑事ドラマでも、刑事部屋の全員が仲良く一つにまとまりすぎていて、まあこれが日本の物語制作の限度なのかとも感じさせられたものだ (昔短期放映された『新宿警察』はこの範疇になく、 ある意味でかなり優れていたと思うのだが……)。

 最後に、 このシリーズはあくまで順序良く読むべきですね。87 分署と同じく、途中で殉職する刑事の死を悼んだり、次第に顕わになってくる個性を楽しんだりすることは、このシリーズのひとつの重要なエキスであると思うので。

 しかし、この時代は真剣に病んでいた。冬、夜の長いストックホルムにまでその潮流がしっかりと押し寄せていた。そういう時代背景もよくわかる本である。時代の緊迫をも背負った一冊なのだ。

(1994.05.22)
最終更新:2007年09月25日 23:26