わが名はレッド



題名:わが名はレッド
原題:Red Dock (2002)
作者:Seamus Smyth
訳者:鈴木 恵
発行:ハヤカワ文庫HM 2002.09.2815 初版
価格:\680

 前作『Mr.クイン』に対しては、世間の評価に背く形でぼくは批判的立場を取ったものだ。本書のカバー・デザインは、2作目もきっと同じようなものかという印象を購買者に抱かせる。

 しかし性懲りもなく今回も『このミス』上位を射止めたとあって、さて本当はどんなものかと手に取ってみる。ページを開くなり、がっかりした。レッドとクインは一体どこか違うのかと思ったのだ。またも完全犯罪を狙ってブレーンをやる男の話ではないか。騙された気がした。

 ところが、2作目は前作よりずっと薄手であるにも関らず、前作よりずっと中身の詰まった、いわゆる小手先芸だけではない小説だった。そのことに気づかされるのは、まさに最終の一行を読み終わった瞬間だった。少し震えたくなるほどの幕の引き方であり、それは完全に、闇の深さばかりを浮き立たせて消え去る種類のものだった。

 あいかわらず遠まわりで核心に触れぬ下工作から、主人公は作戦を始めるのだ。前作はこうした犯罪の仕掛けに始まり、完全犯罪を達成するまでのトリックを説明するだけの小説だった。いわゆる完全犯罪マニュアルみたいなものに過ぎず、周囲がいくら騒ごうとも、ぼくにはトリックを編み出してゆく裏返しにされた本格ミステリーのようにしか見えなかったのだ。犯罪トリックのためにならどんな人間であれ犠牲にしてゆくという作者のご都合主義は、人間不在の本格ものであり、ごろごろと転がる人の命は存在感がなく、読み味が悪いものだ。

 人の死も生も描くということなくストーリー主体で進める。本格ミステリーと世界との距離はいつだって開いている。だから『Mr.クイン』がいかに面白かろうと、それは筋立ての面白さという境界を超える作品ではありえない。それどころか前作は、本書を見る限り具材の一つにしか値していないと言い切れる。

 本書には語り手が実は3人も出てくる。一人はMr.クインもどきの犯罪構築型主人公。一人は犯罪の被害者である娘。一人は今を時めくシリアル・キラー。とりわけ犯罪者とシリアル・キラーの知略を尽くす対決はそれだけでもスリル&サスペンスがたっぷりなのだが、二人の動機が最後の最後まで不明なところは、より恐しい何ものかを暗示させる。

 なぜこの犯罪の被害者が彼女でなければならなかったのか。なぜこんな風変わりな殺害方法ばかりが取られてゆくのか。なぜ二人はこのような道を歩く運命となったのか。犯罪のオリジナリティにはダークさが極まっているけれども、それ以上にそれらの疑問が闇の深さを暗示させて、そのまま最後まで読者は引きずられてゆくことになる。

 ラストには彼らの暗黒を解き明かす要因として、舞台となったアイルランドの貧困、修道院の秘密、喪失した魂たち……そうしたすべてが非常にクールに描かれる。なぜどうしてこの事件を通してあの人物があのような目に合っていったのか。理由のないものは一つもない。用意された皮肉な結末。問題のリアルさ、深さ、作者の視点、作品の一途さ、シニカルさ。そうしたすべての意味で、前作がただの習作でしかなかったこと、本書が極めつけのダーク・クライム小説であることを証左しているように思う。

(2003.02.07)
最終更新:2007年09月25日 23:04