拡がる環


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原題:The Widening Gyre (1983)
著者:ロバート・B・パーカー Robert B. Parker
訳者:菊池 光
発行:ハヤカワ文庫HM 1991.1.15 初刷 1994.1.31 4刷
価格:\500

 ジェッシイ・ストーンのシリーズがいたく気に入ったのだが、ここにはスペンサー・シリーズとの共通キャラクターが数多く登場しているらしく、その同じ国・同じ地平の拡がりを体感できないのが悔しかった。それで約10年前に継続をやめたシリーズをもう一度読み始める決断を下してみた。約10年前に読んだ『儀式』がどんなものだったのかもうほとんど覚えてはいない。だからいきなりその後の本書で、シリーズが自分の中に導入できるものか非常に不安であった。

 確か約10年前にこのシリーズを読みやめてしまったのは、スペンサーが恋人であるスーザンと痴話喧嘩、もしくは哲学的主張の反復をするようになって、そのサイド・ストーリーの比重が、ミステリーとしての娯楽性にまで影響を与え始めているように思われ、いいかげん嫌気が差してきたからである。ハードボイルドとしての娯楽性についてはより多く失われていたように思うし、チャンドラーの後継者などというこの作家のセールスコピーが出回るようになってからは許し難い気分さえ覚えた。釈明をすると、10年前はぼくも若くて、今よりはずっと忍耐力がなかったのだ。

 予想通りこの本は、前の印象を引き継いだものだった。スーザンはひたすら自分の人生を主張する揚げ句ニューヨークで大学に入って勉強を始めてしまっている。スペンサーもなんだか女々しくて、ぼくはこういう空気が何より嫌いである。アメリカの恋人たちというのはこんなものかもしれないとぼくが常々抱いているイメージの通りにスーザンが行動し、スペンサーがこれを嘆いている。この構図が、日本文化を軸に育ったぼくには感覚的に座りが悪い。

 でもきっと多くの女性たちは日本父性文化への批判的情緒感情から、こうしたスーザンの生き方への憧れ、あるいは違和感のようなものを感じるのかもしれない。このシリーズが日本では、より女性たちに多く読まれるということになるのかもしれない。

 ミステリーとしても娯楽小説としても正直言ってレベルの低い作品だと思う。でも腐ってもシリーズ。中にはこんな谷底を覗いてしまったような作品があっても不思議ではないのかもしれない。主人公と等身大の作者がリアル世界でも女性との危機を迎えていた頃であるらしいのだが、そんなものが反映してベストセラーになっているというのはいかにもアメリカらしい話だと思う。少なくとも日本では、ぼくと同様にシリーズのこの辺りに差しかかってパーカーを離れてしまった読者も案外多かったのではないだろうか。

 メインストーリーが面白くなければ、やはり小説は価値が低いとぼくは思うのだ。今後読み続ける自信を失わせしめるような倦怠感を持った作品であった。
最終更新:2006年11月25日 00:34