ブラック・ナイフ



題名:ブラック・ナイフ
原題:SHADOW PREY (1990)
作者:JOHN SANDFORD
訳者:真崎義博
発行:早川書房 1993.6.30 初版
価格:\1,800(本体\1,748)

 シリーズを時間を置いて読むと前作の記憶がほとんど失せてしまい、人物的、または時間的な繋がりに関する興趣がすっかり失せてしまうといういい読書例がこの本であった。靄のかかった前作の記憶を刺激するような場面が頻発するにも関わらず、ダヴンポート刑事とその周辺を思い出すのはなかなか困難なのである。やはりシリーズものをとことん楽しむには一気読みに限る、とつくづく思うが、なかなかそうも言ってられないのが新刊追跡者たちの辛いところなのである。

 さて本書は、前作とはまたがらりと趣向を変えて、叛アメリカ史に材を取ったインディアンのテロ集団ものである。と言ってもテロリスト対デルタフォースみたいな雰囲気はさらさらなく、現代ミネソタの地方都市を舞台にしたウェスタンみたいなものである。

 アメリカ・インディアンについては、 WASP 型ウェスタンから 70 年代ニューシネマへの時代へと、映画の中でのスタンスが変わって行ったことがことさら記憶に深いものがある。ジョン・ウェイン主導型の映画ではインディアンは野蛮な敵であり、フロンティア・スピリットを脅かす荒野の害獣みたいなものとしてしか描かれていなかった。これが『ソルジャー・ブルー』ではインディアン側からの被虐殺の視点で、『小さな巨人』辺りでは双方の歴史を、という視点で描かれ始めた。『ワイルド・バンチ』ではインディアンではないがメキシコ民衆の革命への底力がどこまでも印象深かった。

 そしてそういう旧西部劇 vs ニューシネマの対立は、そのまま WASP 主義 vs 公民権運動の図式となって今も存続している。これはインディアンという先住民族のみならず、黒人、移民への抑圧という形でアメリカの歴史に常に罅を入れて来た軋轢の系譜であり、『天国の門』のように移民部落と WASP の対立が、ウェスタンの構図を倒立させた図式(WASPに移民が包囲される銃撃戦)を見せ、またその映画のできは WASP によって最悪の罵倒を受けたりもした。

 要するにぼくは叛アメリカ史ということに関しては、本の世界よりはるかに映画という素材から学んで来た部分が今も心に強いのである。

 本書はそういう意味ではユニークなインディアンの側の、差別者たちへの復讐劇を小説という素材で取り上げた稀な例であるように思う。ただし、エンターテインメント色が強いし、作者はことさら差別について言及しているわけではない。むしろ幼児虐待問題を挟むなどして、現代アメリカの影の部分を小説の新たな葛藤テーマとして与えているのに過ぎない。そういう意味では原題の "SHADOW PREY" は、読後に印象的である。

 ダヴンポート刑事は相変わらずオタク刑事だし、この作品では事件の中で恋愛や恐怖を体験し、これらに打ちのめされたり引きずられたりして、集中力のないこと著しい。一匹狼的でかなりアメリカ人の好みそうなフリーなタイプのキャラであるからそれなりに楽しめるものの、寄り道が過ぎるぞ、と言いたい部分も多いかもしれない。

 敵側はそれなりに複雑で、善悪も双方に入り乱れたりしている点は買える。それでもシンプルな敵との対決物語だった前作を上回れない。ウェスタンはやはり余談を落としてスリムに疾走した方がよい、ということじゃないかと思う。

 活劇部分は多い。ストーリーそのもののあざとさはないものの、後半は加速的に読み進められるはずである。他の三作も早く翻訳が読みたいが、できればハヤカワのハードカバーでなく新潮の文庫という廉価な形で世に出て欲しいものだ。

(1993.07.31)
最終更新:2007年09月25日 00:55